家族手当廃止の動きをどうみるか

「労働通信」2004年5月号

 二〇〇三年春闘より、成果主義型の賃金制度のもとで公平感を高めると称して各種手当てを廃止する企業が増えている。家族手当てもそのなかの一つで二〇〇四年春闘では廃止や見直しを決定した企業もおおい。それでは経営側のいう公平感は本当なのだろうか。
 かつて家族手当は賃金水準の低い時代に、また、男は外で働き女は家庭を守るという社会情勢のもとで、世帯形成期の生活を保障するものとして導入された。それにたいして、こんにちの状況は確実に変化している。ある程度の賃金水準の向上と共働き世帯の増加、結婚しないものや子供をつくらないといったライフスタイルの多様性などである。経営側は、それらを盾に家族手当の廃止を迫っている。たしかに、かつての家族手当導入期と現在では社会情勢は変化し、かつての家族手当制度が現在の状況にあてはまるかどうかという分析は必要である。

 しかし、こんにちの社会情勢の変化が家族手当廃止をおこなう情勢であると結論づけることにはなりえない。家族を養い子供を育てるという状況をつくることは、一見個人の自由であり、子どもを産むのもある意味では個人の選択であるし、家事専業者を持つかどうかも個人の選択であるように思える。そういう個人の選択にたいして会社がお金を出すのはおかしいというひともいる。しかし、私たちの生活の根本的な基礎を考えてほしい。それを考えると、このような考え方が逆に個人主義的な考え方であり社会性・協調性のない、社会の活力をなくしてしまう考え方であることがうかがえる。

子育て支援は企業の社会的責務

 本来人間の生活は、生産活動を基礎になりたっている。社会の生産性が質量ともに高まることにより人間の生活は向上してきたし、そのために教育水準もより高いものが要求されてきた。生産性を高めるために人類はいろいろな仕組みを考えてきた。人間の力の限界を機械やコンピューターにより克服し、つらい肉体労働や単純作業から開放したし、地理的に困難なコミュニケーションも情報技術の発展により克服し、地球の裏側の情報もリアルタイムで把握することができるようになった。

 現在の教育は当然のことながら過去のどの時代よりも高等な内容が要求されている。しかし、わが国の公教育がそれに追いついていないのも現実である。塾や予備校、家庭教師派遣などの教育産業が花盛りなのがその証拠でもある。これは社会の要求する教育水準が公教育だけでは不十分であり、おおくの教育費を支払って社会の要求にこたえようとする自然な流れでもある。

 人々は、社会の要求する教育水準とうい感覚ではなく、いかによい就職口を手に入れるかという感覚かもしれないが、それが社会の要求する教育水準のことなのである。教育費にどれだけの費用をかけられるのかは、親の収入に依存する。教育の機会均等という理念からすれば全くおかしな話である。子供を生み育てるということは個人の選択ではあるが、社会的に非常に責任のある行為なのであり個人の自由などという言葉では片づけることはできない。極端にいえば個人の自由により子供を作らない世帯が増えれば数十年で日本には生産を担う世代がいなくなってしまい、企業も私たちの生活もなりたたなくなってしまう。また、社会の要求する教育水準を与えられなければ、優秀な社会の担い手を育てることもできない。そのような意味でも子供を育てることに対して支援することは、企業の社会的責務でもあり企業を存続させるための必要条件でもある。

家事専業者の現実はどうか

 現在の共働き世帯に関しては、おおくの家庭では妻が補助的な収入を稼ぐといったものであろう。家事専業者を持つかどうかも個人の選択といわれるが、実際はどうなのだろうか。家計を任せられるだけの収入を得るには、パートやフリーターではむずかしい。にもかかわらず失業者の増大、パート、フリーターなどの不安定雇用者の増加など、就職口を見つけるのが困難なうえ一人で家族を養える世帯が減っているのが実情である。さらに、子供をもつ家庭では、共働きをしようとすると保育所など子供を預けるところが必要になってくる。しかし、必要なところに保育所の定員数が少なく待機児童が多く発生している。また、短時間勤務の充実とその間の賃金保障など、幼少期の最も親の愛情が必要な時期において、親との距離が出来てしまうことへの対策も遅れている。このような状況のもとで働きたくても働けない家事専業者がおおく存在している。

 家事専業者を持つかどうかが個人の選択ということができるのは、このような問題が解決してからである。それが解決され安心して働くことができるまで家事専業者への支援は今まで以上に必要なことである。

経営側の狙いと家族手当の意義

 家族手当をなくそうという経営側の真の狙いは、成果主義型の賃金制度と同様、労務費の削減以外の何ものでもない。

 いたずらに家族手当を廃止することは少子化を加速させ、高度な教育を受けた人材を減少させることになり、将来的に世界の中で企業自身の体力を減少させることとなる。これは経営側自らが墓穴を掘っていることと同じである。

 一方、行政側は、少子化や教育問題にかなりの危機感を抱いていることも確かである。昨年七月に成立した「次世代育成支援対策法」をはじめとする関連法案によりこれらの対応をおこおうとしていることからも伺える。「次世代育成支援対策法」では、従業員三〇一人以上の企業にたいし二〇〇五年三月までに、社員が仕事と子育ての両立を図ることができるようにする「行動計画」の策定とその都道府県労働局への届け出を義務づけている。そんななかで個々の企業では家族手当の廃止論がでてくるのはどうも納得しがたいところでもある。

 今後の家族手当は「人を育てるという観点」から議論しなければならない。かつて導入当初の家族手当は、妻や子供を食わせるために存在した。企業も将来最低限の労働力を確保するために家族手当という「投資」を行っていた。しかし現在、その目的は家族を養うという観点に加え、より優秀な人材を育てるという目的をもつことが必要となっている。労使とも目先の利益だけを追う現在の経営方針を改め、将来の社会の担い手を育てる責任を企業自身が負う必要性をもっと議論すべきである。その上で現在の社会情勢にあった仕組みを考える必要がある。

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