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 はじめに
 ソ連崩壊の要因
  経済的要因/政治的要因/民族的要因
 むすび

『労働通信』2004年1月号

治的要因

 ソ連崩壊の政治的要因については、おおくのことをいわねばなりませんが、今日は時間の制約もあるので、一つだけいっておきましょう。

 レーニンは、革命の直前には「読み書きできるものなら誰でも、企業や国家の管理ができる」といっています。それは、おえらい方はいらないというのではなく、また、専門的知識をもったものや、指導的な役割をはたす人がいらないというわけじゃない。そうした人たちが固定化した階級として、高い給料をもらう人間集団として必要となる状態が急速になくなるだろうということをいっているのです。それから、そもそも管理するといったって、そんなにたいした仕事じゃないのだという。普通の教育さえあればできるのだ、という楽観主義だったのです。たしかにこれは、楽観主義すぎたのだと、あとでレーニンは反省をしています。そんなにすぐにはいかないと。当面は、専門家にある程度高い月給を払ってやっていかざるをえない。そこから、レーニンは「労働組合が企業管理に口をだしてはならない」といい、トロツキーも「よい官僚なしにはやっていけない」と考えていたわけです。

 ところがスターリンは、この上下の分業体制――すなわち、上が政治的な決定権と経済的な特権をひとりじめにするという体制――を、克服すべき状態というよりは、この上下の分業によって、経済も、社会も、そして文化もあらゆる領域で前進することができると考えたのです。つまり、克服すべき対象ではなくて、依拠すべき対象となった。

 ロイ・メドヴェージェフとジョレス・メドヴェージェフの兄弟が書いた『知られざるスターリン』という本が最近出版されましたが、このなかにスターリンのセリフが紹介されています。これは、本邦初公開でして、これを読んでびっくりしたのは私だけではないでしょう。レーニンが書いた『国家と革命』という本の表紙にスターリンが「国家死滅論は役立たずの理論である」と書きこみをしたというのです。

 上下の分業は、ロシアのように革命当時に人口の半分以上が文盲であるという後進国では、ある程度はしょうがないんですけれど、この「しょうがない」を逆手にとって、あるいはゆがめて、そういう状態で幹部だけがすべてを決定するという状態をつづけようとしたのです。マルクス主義の真髄といったら、「国家死滅論」でしょう。これを役にたたんといったのだから問題です。スターリンは、おそらくそう考えていただろうと、われわれはうすうす感じていました。案の定、「国家死滅論は役立たずの理論だ」と明言する人がその政権の絶頂にいると、経済建設や政治組織の改革がうまくいくはずないですよね。どうして、そういう人物が政権の頂点にいたのだろうか。それは、ロシア革命の皮肉としかいいようがないですね。いまは、それだけにいたしましょう。

族的要因

ナゴルノ・カラバフ戦争の犠牲者の墓

 

 さて、ソ連というのは連邦国家です。「ソ連崩壊」という場合には、「社会主義が崩壊した」、あるいは「社会主義をめざす体制が崩壊した」と受けとれるわけですが、しかしもう一つ重要なことは、ソ連邦が世界に例をみない連邦国家であり、多民族国家であるわけです。その多民族国家――すくなくともいくつかの大きな民族集団を単位に形成していた連邦国家――が、連邦国家としての存在をやめたということです。

 この背景にどういう要因が作用したのでしょうか。

二つのソ連邦構想

 レーニンは、「被抑圧民族に譲歩しすぎることはない」といっていまます。

 実は、ソ連邦ができるには一定のいきさつがあります。革命後、何年かたったあとにロシア共和国連邦以外に、いまのコーカサス地方――グルジアやアルメニアとかアゼルバイジャン――にできあがったコーカサス連邦共和国、ウクライナ共和国、白ロシア共和国がいっしょになってソ連邦というものをつくろうということになりました。革命直後にいわれたことは、ロシア社会主義共和国連邦に、おなじく社会主義を旗印にかかげた共和国がロシアといっしょに連邦国家をつくろうということです。これがソ連邦構想です。

 そこに二つの構想がありました。

 一つは、ロシアとおなじ資格で、コーカサス、ウクライナ、白ロシアが横ならびで平等の資格で加盟していくというものです。もう一つは、ロシアが一つ上にたつ、あるいはおなじことですが、連邦というものが一つ上にたって、それに各共和国が加盟していくというもので、そして連邦という上部組織のなかではロシアが事実上の兄貴分として決定的な役割をもつというものです。こまかいことは別として、前者を「横ならび構想」、後者を「上下構想」とよびましょう。そして「横ならび構想」を提唱したのがレーニンで、「上下構造」を主張したのはスターリンでした。

 グルジア、コーカサスの共和国は、「横ならび」を強力にのぞみました。このころ、レーニンは病気をしていました。そのあいだに、スターリンとかいろんな人たちが連邦をつくる工作をやっていたのですが、「横ならび」にしたいというグルジアやコーカサスの連中をこっぴどくおさえつけて、無理やり「上下」にしようとしました。このことを知ったレーニンは、つぎのようにいっています。「かれらは、何世紀にもわたって抑圧されてきた民族だ。この民族のいうことには、多少の問題があるかもしれないが問題を問題とするのではなくて、かれらには譲歩すべきである。被抑圧民族に譲歩しすぎることはない」と。

 スターリンなどは、それを無視して「革命国家は中央集権的統一国家でなければならない」と主張しました。これは、フランス革命のときの主張なんです。封建的な分離状態から統一的な中央集権国家をつくっていく、これは国の中世から近代への根本的な進歩を保障する国家体制です。現に、資本主義の発展はそれによって発展してきました。だから、これから社会主義へいこうという国家も、合理的、経済的見地からみても、のぞましい国家体制は中央集権国家である。これは、レーニンもいってるんです。

 だけど、そのさいにロシアのような多民族国家で、これを社会主義的な方向ですすめようとする場合に、力づくでやったらどうなるか。フランス革命のときのように反対する連中を軍隊でおさえつけたとしたらどうなるか、フランス革命の場合はそれで歴史を進歩させたのですが、ロシアでおなじことをやったら、歴史の進歩に貢献することにならないよと、レーニンは主張しました。

 ロシアは「民族の牢獄」といわれました。ロシア帝国が周辺民族をつぎつぎと併合し抑圧してきました。その国から民族の解放を実現する、それが十月革命の旗印の一つなんです。その旗印を裏切って、力による中央集権的な統一国家という名目で、実際にはロシア民族の一方的な優越性を実現することを意図しており、強制的な縦わりの連邦国家をつくるのであれば「ロシア革命の旗がよごれる」と。ロシア革命の旗がよごれるということは、ロシア革命の旗についてくるものがいなくなる、あるいはロシア革命に期待していた人たちが背をむけるようになるのです。誰がいちばんさきに背をむけることになるかというと、旧ロシアの被抑圧民族もそうだろうけど、インド、中国など世界の被抑圧民族が背をむけるようになる。それは単にロシアだけの問題じゃない。実は、国際主義にかかわる。さらに、それは十月革命の旗をけがすことによってロシアの労働者の期待も裏切ることになる。ロシアの労働者に謝罪する、とレーニンはいうわけです。

 さすがのスターリンも、レーニンの意向を聞いて一歩しりぞきました。しかし、事実として実現したのは、縦わりの「上下構想」なんです。形式的には「横ならび」なんだけれども、そのなかでロシア共和国がものすごい力をもつ。ソ連邦というものが、単なるユニオン組織ではなくて、国家の上にたつ国家、各共和国に上にたつ大国家としての役割をはたすようになりました。アメリカ合衆国もそうです。連邦政府は、各州政府の上にたつ国家ですが、ソ連はそれをさらにつよめたような強大な上部国家となりました。

 スターリンの有名なセリフがあります。それは「たしかに大ロシア人だけがいばって上にたつのはあまりよくない。しかし、下の民族も利己主義をふりまわして、連邦の統一中央国家の権威をみとめないのはブルジョアイデオロギーだ」という。「革命国家はあくまでも統一的集権的国家である必要がある」というレーニンの言葉をさかんに引用するんです。そして、民族主義というのは、ソ連の中央政権のすすめている政策に反対することだといいます。
 だから、民族の自立性、伝統をまもれとか、民族語で教育する、民族語で新聞・雑誌をだす、こんなことの一つ一つが地方的な民族主義として槍玉にあがってきました。ソ連共産党のなかでもロシア人の幹部が優勢なんです。人口比率でいえば、ウクライナ人は六分の一をしめているんだけれども、党の中央幹部のなかでは一二分の一しかいないとかね、いたるところにこうしたことがみられます。地方民族出身の不満はつねにある。ところがそれをいちいち聞いていられないとして、党の統一、鉄の規律だといっておさえてくる。おさえるということは反目、不満を内向させることになります。

民族エネルギーの爆発と連邦崩壊

 レーニン構想によれば、各加盟共和国が「うん」といわないことは上の国家も強制できないということになります。ところが、スターリン的な構想では、上部国家が承認しないことは下部国家がやることはできないということになります。スターリンは、レーニンの構想をねじまげたのですが、このねじまげた構想をレーニンの構想にもどして、各共和国の自主性をみとめていこうというのがゴルバチョフ政権の末期にでてきた路線なんですけれども。ゴルバチョフは、それでうまくいくと思ったんですね。ところが、ゴルバチョフが各共和国を「横ならび」に平等なあつかいにして、上部国家があまり無理難題を下におしつけないようにしますよといった途端、下が何をいいだしたか。「じゃあ、そうしましょう」というのではなく、「(連邦から)もうでていく」と。そりゃあ、そうでしょう。上からのいろんなおしつけを五〇年もやられてきたのですから。これからは、もうおしつけませんよ、といわれたって信じるかどうかはわかりません。

 日本には第二次大戦中に大本営発表というのがありましたが、それは負けていても「勝った」、「勝った」と発表していました。発表している側は、最初はウソだと自覚しているが、そのうちに自分が自分にだまされていく。それとおなじように、スターリン時代のソ連では「社会主義が最終的かつ完全に勝利した」といわれました。その社会主義の目標のなかに、「諸民族の融和と接近があり、ソ連には民族の抑圧、差別がなくなった、ある民族とある民族のあいだに固有のあつれきがあるという状態はなくなった」と宣言しました。ところが、現地の人はそうじゃないと思います。

 チェルノブイリの原発事故以後、ゴルバチョフはグラスノスチとして、「みんな、いいたいことをだしてくれ」という政策をとりました。そうすると、各地方民族から「ロシアにわれわれが差別されてきた。われわれより、もうちょっと大きな民族がわれわれを差別してきた」といいだした。そしたら、その下にいる民族がまたいいだした。「そういうことをお前たちがいっているが、お前たちはわれわれを差別してきた」と。あっちにも、こっちにも問題が内向していることがあきらかになってきました。

 これが最初に爆発したのが一九八八年のナゴルノ・カラバフでした。ゴルバチョフが最初に聞いて、「ナゴルノ・カラバフ」ってどこにあるのかわかりませんでした。そこで何がおこっているのかもわかりませんでした。ナゴルノ・カラバフに住んでいる民族のなかでは、アルメニア人がアゼルバイジャン人に差別されてきましたが、アゼルバイジャン人はロシア人に差別されてきました。二重、三重、四重の差別があって、いちばん下から声をあげたのです。しかし、なかなか聞いてもらえないので、手をだしました。これにたいして鎮圧部隊がやってきて紛争となります。

 しかし、これは、ナゴルノ・カラバフだけではなかったのですね。形式上は、平等にソ連邦に加盟するというかたちをとりながら、実際は二重三重の上下関係のなかにおかれてきたなかで、「最終的に諸君の権利をみとめます」といわれたときには、とうとうとわきあがった民族的エネルギーをゴルバチョフ的な方向で、あるいはゴルバチョフが頭のなかで描いていたレーニン的な十月革命の原点にかえって再編成しようという方向にくみあげていくんじゃなくて、まったく別の方向へみちびいていった勢力があきらかにありました。地方の共和国のエリート集団がえらんだのは、社会主義的な連邦的な再生ではなくて、そこから分離・離脱する方向でした。

 そして、分離・離脱するさいに社会主義も捨てました。なぜ、社会主義を捨てたのか? 各加盟共和国のトップの連中たちは、自分たちのゆくすえ、身のふり方を考え、自分たちの地位、立場、権力、権威、権限をどうやったらうまく確保できるかを考えたとき、社会主義とか連邦とかいうことではなく、分離独立の方向をとった方が、今後の政治家として影響力をたもつことができるという選択をしたんでしょうね。同時に民衆も「社会主義に未来はない」と感じとってしまったのじゃないでしょうか。

 そうなる要因として、これまでのべてきた経済的な要因、政治的な要因以外にもう一つあります。ペレストロイカは、もともと経済の改革からはじまったのですが、そこからうってくる政策がつぎつぎと裏目にでて、地方ほどツケがまわってきたのです。これとまた、何十年間のつもるうらみと重なってしまったんでしょう。国民生活の後退というのは国民にとってがまんすることができない。日に日に生活がわるくなってくる、これは庶民の絶望感をさそったでしょう。さらにソ連の国民の一〇人に一人はかつての戦争で死んでいます。また五人に一人はおおかれ、すくなかれ、大粛清の経験をし、あるいは身内・縁者に関係のない人がいないぐらいです。この歴史を考えてみると、選択肢は分離独立イコール脱社会主義ということになって、民衆の支持を最終的に失ったわけです。

すび

 ただし、民衆は社会主義をオール否定したのか? あの時点で、そのように社会主義をみなかった人もいます。あとで「しまった」と思っている人もいます。しかし、問題なのはその当時「ソ連を離脱なんかしなくてもいい」と思ったり、あとで「しまった」と思ったりしている人たちが、なぜ声をだせなかったのかということです。ソ連共産党やインテリゲンチャなどの政治集団も声ある形でなぜだせなかったのか? それは、かれらもまた社会主義に自信をもっていなかったからです。

 ソ連崩壊を考えるときに、このことも考えなければなりません。ソ連の社会主義というのは、人人を「脱政治化」にしてしまいました。政治というものを、こんにちの政治をどうみて、明日はどうすべきかという、政治的な判断力です。ところが、政治的であるべき民衆が、そのなかでもリーダーシップを発揮すべきインテリゲンチャや前衛を自称する共産党の連中が声をだせなかった。かれらもまた脱政治化していた。ここのところが、いちばん大事なことだと思います。

 

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