>>>> 講演の骨子
 はじめに
 ソ連崩壊の要因
  経済的要因/政治的要因/民族的要因
 むすび

『労働通信』2003年11月号

連崩壊の原因

 つぎに、ソ連を崩壊に追い込んでいく要因として、わたしは三つあげます。一つは経済的要因、二つ目は政治的要因、三つ目は民族的要因です。ソ連はなぜ崩壊したかというタイトルのもとでは、「ゴルバチョフ政権はなぜペレストロイカに失敗したのか」という問題の立て方もありますが、今日はもっと大きく、ソ連の失敗した究極の原因を眺めてみようと思います。

 たとえば、一九八六年の四月、ゴルバチョフ政権がスタートした一年後にチェルノブイリ原発事故がおこります。世界の原発史上初の大事故であり、ゴルバチョフ政権にとって大変な打撃であったわけです。そこで直接的に失われた人命、経済的な損失だけではありません。じつにソ連の政治的権威が低下し、ソ連の技術、社会組織にたいする信頼感がいっきょにくずれていったのです。

 かつて帝政ロシアがにっちもさっちもいかなくなって、農奴解放のような社会改革をやらざるをえなくなりますが、その直接のきっかけはクリミア戦争に負けたことです。敗戦の原因は軍隊制度が遅れていることでした。それは、農村制度(=農奴制)が遅れていることでした。農奴解放によって、遅れた農村制度を改革しない限り、近代的な軍隊制度もできなかったわけです。

 それと同じことが、チェルノブイリ原発事故についていえます。ゴルバチョフは、これは国家的な敗北だと認識しました。この原発事故は、クリミア戦争の敗北と同様に、偶然でもなんでもなく、ソ連の技術体制と技術的な遅れを温存していた遅れた社会体制、政治体制に根ざしています。端的にいえば、チェルノブイリの事故を最初に知ったのはスウェーデンの観測所でありまして、ゴルバチョフはずっと後になって知らされました。そして、一番最後に知らされたのはチェルノブイリの周辺の住民でした。そこで大改革をやらなければならないとして、ペレストロイカを提唱したわけです。

済的要因

 さて、ソ連が結局、自分で高くかかげていた旗印、「資本主義に追いつき、追い越せ」が達成できなかったもっとも根本的な原因、最終的にソ連国民の共感と支持をうしなった究極の原因は、経済的なものにあることはいうまでもないことです。

 労働生産性をめぐる闘争

 レーニンは革命直後に、革命政権が生き残るかどうか、それが社会主義の道に開いていくかどうかを最終的に決定していく要素は、労働生産性だと述べています。「労働生産性をめぐる闘争が決戦の舞台」だといいます。

 一九一九年、まだ内戦の時期に、鉄道労働者の一部が、「こういう時代だから」ということで土曜日は自発的にただで働きました。これをレーニンが見て、感動しました。かれは、この「共産主義土曜労働」を、労働者の自発性という点で評価しただけでなく、労働者の自発性があってはじめて労働生産性が向上すると評価しました。どんなに機械設備がすぐれていても、どんなに労働組織・管理組織が近代的になっても、労働者のやる気がなければ生産性の向上はありえないというわけですね。

 その一方で、レーニンは非常に現実主義でありまして、「工業でもわれわれの目標はアメリカだ。アメリカから学べるものは、すべて学ばなければいけない」といいました。たとえばテーラーシステムに非常に高い評価をしました。これが誤解をうけて、レーニンは非常に無慈悲な搾取を考えていたという人がいますが、そうじゃない。テーラー主義というのは合理的な労働組織であり、それ以上でもそれ以下でもない。労働がどれだけ自発的であっても、科学的・技術的根拠がないと何もならないと考えたのがレーニンの真意です。

 レーニンが、革命政権が生き延びる条件としてもう一つ主張したことがあります。当時、革命政権はあるけれども、資本家の卵はたくさんいる、と。とくに個人商人や個人農民はほっとくと金持ち、資本家になってわれわれを脅かす存在になる。こういうものとたたかわなければならないというわけです。

 「たたかう」という場合、どのようにたたかうかですね。レーニンは、革命によって国有化、社会化された企業が、個人商業や個人農業にたいして決定的に高い生産性をあげる、これしかないと考えました。

 ところが、資本家の卵をなんとしてもやっつけろということになりますと、撲滅するということになります。一九三〇年代の初めにソ連では、「階級としての富農の絶滅」ということがいわれます。しかし、富農といっても、個人農民にちょっと毛が生えた程度なんです。貧しい農民は馬を一頭しかもっておらず、本当に貧しい農民は馬をもっていない、これにたいして富農は馬を二〜三頭もっている、その程度です。ところが、富農が革命政権の経済政策に協力的でないということを理由に、力づくで富農を解体する、財産を没収する、遠方へ追放する、場合によっては殺してしまう。これは「決戦の舞台」にふさわしい手段ではありません。

 国有企業の労働生産性をあげる条件が制約されているもとで、富農や個人商人との闘争の決定的な要素は国有企業の労働生産性の向上だという基本的な認識をうしなうことなく、わずかな可能性でもこの基本認識を維持するという精神が欠けてくると、意外な経済政策が生じてくることになります。

 たとえば、一九三〇年代のスタハーノフ運動というのがあります。スタハーノフというのはある炭鉱労働者です。ノルマ(基準採炭量)の三倍か四倍かを超過達成するのです。レーニンが評価した「共産主義土曜労働」になぞらえて、「これこそ、大工業建設へむかうソ連の救世主である」と宣伝されました。これはいいのですが、つづかないのです。

 「スタハーノフに続け」といわれると、普通の労働者はついていけなくなる。また、スタハーノフをやとっていた炭鉱の管理部からすると、スタハーノフがでてくることはありがたいのですが、あんまりでてくると、「今期のこれだけの成績をあげたとすると、来期はそれ以上の成績をあげることができるはずである」とノルマの上積みを要求される。

 そして、「ノルマを達成しない場合は諸君にやる気がないからだ」、はなはだしくは「われわれのやる気を妨害するつもりだ」「つづかないのは単に怠け者だからではない。われわれに敵意を持っている。人民の敵である」と、やっちゃう。

 こうして、スタハーノフ運動にたいして、労働者も管理部も両方あまり歓迎しなくなります。そのため、スタハーノフ運動がある一定の時期をへますと、妨害行為がしきりに報道されるようになります。労働者もいやがる。管理部もいやがる。現場の指導部隊である党もいやがる。本来自発的にはじまったはずのスタハーノフ運動が、いつの間にか強制運動に転化する。これが「決戦の舞台」としては寒々しい光景であります。

 それから、スタハーノフ労働者というのは非常に優遇されるわけです。賃金、ボーナス、別荘、休暇、配給の特権的供与などがあります。一般の労働者の待遇とそれほど違わない、一〜二割の割増ならいいですが、相当の格差になると労働者のなかに「励み」という感情よりも、露骨に「そねみ」「ねたみ」感情が生じます。

 一部のスタハーノフ労働者を非常に優遇するということは、その他の労働者が非常に貧しかったということです。『資本論』にもでてきますが、出来高賃金というのは、賃金の全体の水準を低く抑えたまま、ごく一部の労働者にとびぬけた待遇をあたえることによって、労働者の生産意欲を刺激せんとするものであって、資本家にとって一石二鳥である。スタハーノフ運動というのはこっちの方を拡大再生産するものでありました。

 本当に自発的な労働を発揚するためには、物質的な刺激というものが必要です。ただし、物質的な刺激というものは、極度に制限されたごく一部の労働者だけにいきわたるものであっては効果がないどころか、逆効果になる。本当に労働の刺激と、それにこたえる報酬が組み合わされていませんと、一方ではものすごい不平等、その一方では、それと矛盾するようですけれど、「悪平等」が存在する。つまり、一握りのスタハーノフ労働者は潤うけれども、その他の労働者は「どっちでもいいや」という存在として処遇される。あるいはそのように労働者が意識する。それが、労働者の立場からすると、「働いても、働かなくてもいいや」ということにもなります。もっと極端にいうと、「社会主義的に働いて、資本主義的に稼ぐ」という言葉が出てきます。社会主義的に働くというのは、「適当にはたらいとけ」ということ、「資本主義的に稼ぐ」というのは、ほかでアルバイトをするということです。

 一九三〇年代のソ連における経済建設過程では、労働者の生産意欲を刺激する手段を両方とも欠いていたということです。

 ついでに申しますと、ゴルバチョフ時代に、このような労働のあり方を克服することなしにペレストロイカはありえない、といわれました。といいますのは、ゴルバチョフの前のブレジネフ政権は、ときには共産主義土曜労働をもちだし、ときにはスタハーノフ運動をもちだして、非常に道徳的な、精神主義的な生産性向上運動をやろうとしました。これは、ゴルバチョフにいわせると、最初の一回は効果があるけれど、長続きしない。比較的安定した、物質的な報償、見返りがあってはじめて安定した効果が上がり、精神的な刺激も役立つということになります。

計画経済をめぐって

 経済でもう一つうまくいかなかったのは、計画経済です。わかりやすくいうと、計画経済をやりすぎたということです。

 どういうことかというと、何から、何まで計画経済の対象としようとしました。レジュメに「穀物播種面積からチョッキのボタンまで」という一九三〇年代のトロツキーの言葉があります。ソ連の計画経済は、何から何まで計画にいれている。そして、計画目標は法律だという意識があります。われわれの決めたことを守らない、これに意図的に反対する、これは犯罪行為だというわけです。

 誰が考えても、穀物だとか、鉄鋼だとか、発電目標とか、鉄道建設とかは、こういう国家的プロジェクトは国家目標としなければなりませんよ。計画経済の計画経済たるゆえんは、そういう国家プロジェクトを集中した資金計画のもとできちんと実現することです。でもね、野菜とか卵とか、チョッキとか、靴が何足だとか、そんなことまでどうしてきめればいいのか。トロツキーにいわせると、国家的な重点目標以外は普通の生産・流通・売買でいいじゃないか、と。貨幣経済とか商品流通がなくなるのはずっと先だ。なぜなら、毎日毎日の衣食にも事欠いている人たちが、貨幣のない生活になれるはずがない。貨幣を稼がなくてはいけない、それで汲々としている国民がいきなり貨幣なき生活にいくなんてありえない。商品貨幣経済の仕組みは長くのこるんだ、むしろ、それを利用する、あるいは依存していかざるをえない、むしろ依存していた方が、中央計画の重点的実施に都合が良いと主張しました。

 ところが、スターリンは重点目標、戦略資材だけでなく、日常のこまごまとした日用品まで計画経済にいれてしまう。これを計画しようとすると、産業連関表――この生産物を一単位生産するのに、どれだけの生産物が必要かを示すデータ――を作成し、膨大な計算をする必要があります。かりに、いまのようなコンピュータがあってはじきだしたとしても、その結果は今の時点と明日の時点ではちがうだろう。国民の需要や好みは刻々と変化します。だから、一定の期間に一定の生産計画をつくらなければならない商品はべつとして、それ以外のものは市場の需要供給の変化に任せた方がいい。市場と計画の組み合わせは、レーニンにしてもトロツキーにしても、イロハの問題でした。それがなぜか、「穀物播種面積からチョッキのボタンまで」になってしまいました。
 戦後非常に注目された経済学者・ネムチーノフが、スターリンの計画経済について「あれは計画経済ではなく、統制経済、切符配給制度」といいました。日本にも第二次大戦中に戦時統制経済がありましたね。この物資は統制物資だと指定されると、自由に売買できなくなる。かならず国家機関の許可と割り当てと、割り当てにたいする切符があり、切符とひきかえでないと売ってもらえない。ソ連では、こうした統制経済で、基本的な生産財から日用品までがんじがらめにしました。この配給制度の下では計画がかえってうまくいかないのです。あっちが不足するかと思うと、こっちがおおすぎる。こっちに工場をたてようとして、工場はたつんだけれども、電力が足りない。つぎに電力は供給したけれど、原料がとどいていない。なぜ、とどいていないかというと、鉄道や道路が整備されていない……。

 なぜそうなるかというと、計画の組織が完全に縦割りになっているからです。鉄道部門は鉄道部門、農業部門は農業部門と、まったく縦割りになっていて、それぞれが個別の官庁によって管理され、資金的にも統制されるようになっていました。そのため、この官庁は目標が達成できていても、その横の官庁は達成できないということがありました。

 計画経済では、中央計画を作成するための経験が必要です。そのための、ある程度の技術も必要でしょう。そういうものがないときは、市場にまかせざるをえない、また市場に任せた方が損失が少ないのです。

 たとえば、野菜とか卵とかを計画しようとします。重点目標がありますから、資源と労働力、資金が集中する部門と、そうでない「冷や飯」部門があらわれてきます。そこで凸凹が生じます。組織が縦割りですから、重点部門でも凸凹ができる。そうしますと、計画がおおすぎて、計画がうまく立てられないし、達成できない。これを当時、必死になって是正しようとする――努力しなかったわけではありません。一生懸命なんですけれど、できないものはできない。ですから、表面的にはチョッキのボタンまで計画するんですけど、実際には、放任するところが出てくる。ヤミ経済にまかせてしまう。一番いいのは、そういうことを政策として徹底することです。すなわち、紙の上だけの計画経済のうたい文句ではなく、まだソ連の計画経済は市場に依拠していかなければならないと、中央計画は限定されざるをえないと政策上、明確にすることです。

 それともっと大事なことですけれど、計画の立案にあたってはとにかく現場、生産の現場、消費の現場を重視することです。生産の現場といえば工場、この工場がどれだけの生産能力をもっているか、何をすればどれだけの目標を達成することが出来るか、それから消費の現場、何がいま一番消費者の欲望するところであるか、消費者、市場に聞いてみなければわからない。モスクワの官庁でわかるわけはない。市場をつかう、生産と消費の現場の情報を十分に取り入れる、こういうことがなければどんな計画経済も紙の上だけになってしまいます。

 国民生活の向上は後回しに

 問題は、このような労働生産性のちぐはぐ、計画経済のちぐはぐのもとで、社会主義経済は本当にその目的とする国民生活の向上を達成できたかということです。

 たしかに国民生活は帝政ロシアの時代や革命前後にくらべたら圧倒的に向上しました。たとえば教育水準一つをとってみても、どれだけ急速な進歩をとげたかはいうまでもないことです。

 でもね、肝心カナメの消費生活を根本にして、国民生活が、着実に、絶え間なく、しかもかなりのテンポで向上し、それが国民に意識されることが大事ですね。とくに、国民に実感されることが大事です。人間はほんとうに窮乏時代をぬけだすと、ちょっとした停滞、ちょっとした後退が耐えられない。たとえば日本でも石油危機のときに国民がどれほど右往左往したか。あれは、石油が十分にあった時代に享受した生活にちょっと穴があいただけで「恐慌状態」になったことをしめしています。

 たしかに当局者は、国民が国民生活の向上を認識することが大事だと認識していました。だけどそれを実現する上で非常に問題がありました。さきほどからのべてきた労働生産性と計画経済という根本的な問題のほかにも、もう一つ問題がありました。

 一つは重工業優先体質です。重工業を重視しなければならないということそのものは、経済の常識であります。社会主義でも資本主義でも、重工業は経済の土台です。重工業を優先させるのはいいんですが、ここに二つの問題があります。一つは先ほどの縦割り行政と関連しまして、これを担当する部局の威信にかかわる、重工業担当の大臣が軽工業担当の大臣にたいして、「お前、ひっこんでいろ」と、こういうことが国の政治でまかり通るわけです。重工業優先を固着させた。

 もう一つは、重工業は当然、軍事工業と密接しているわけです。これに拍車をかけるのが軍拡競争、軍備の負担。この軍備の負担というのは、ソ連の責任じゃないよ、アメリカの責任だといえる。そういえば簡単なのですが、もっと端的にいいますと、ブレジネフが「わが国にも軍産複合体がある」といっています。重工業関係の政治家のいうことは重みがあるという。ソ連の軍事力の開発は二重の問題があったと思います。一つはアメリカの政策にたいする本当に適当な選択肢として、軍事建設がおこなわれていったかどうか。それから核開発、核兵器の増強をめぐる方針がほんとうにただしかったかどうか。

 それから、かりに、そこに問題がなかったとしても、国内的に軍需部門の官僚組織の力を党も国家の官僚組織もコントロールすることができなかったということです。

 そこから何が起こったかといますと、ゴルバチョフが大統領に就任したとき、ビックリしたことがたくさんあるんです。一つは、こんなにソ連の国家財政が赤字だとは知らなかった、と。統計上は全部黒字になっているんです。赤字の原因が軍拡競争であり、もう一つが補助金ですね。労働生産性の低さと計画経済の失敗で国有企業は赤字です。とくに農業部門は赤字です。これにたいする財政補填がものすごかった。

 もう一つびっくりしたのは、社会主義の表カンバンである社会福祉の水準でした。ゴルバチョフ時代に開かれた党協議会で、社会福祉・厚生文化担当の大臣が発言して、「ソ連の社会福祉水準は先進国並みとはすくなくともいえない」といいました。ある病気の対策のためにかけられている国家予算の規模からいうと、世界のなかで後ろから数えた方が早い。文明国のなかだけではないですよ、地球上の国のなかでです。ペレストロイカ以前なら、とてもこんな発言はできなかったでしょうね。ゴルバチョフは「お余りの部分となった国民消費と福祉部門」といいます。どういうことかというと、国家予算の配分の中で、まず重工業、軍事部門があり、運輸とか、なんとかがあり、それからずっといって、ずっと下にいってはじめて教育とか福祉がくるということです。

 われわれは、あえていえば長年シンパシーをもってソ連を研究してきたんですね。ですが、実際に生の人が見たことは違う。われわれは、ソ連は軍事大国だけじゃなくて、福祉大国であり、教育大国だろうとみていたのですが、そうじゃなかったんです。

>>>> 次へすすむ

 

目次へ戻る

この記事のTOPへ戻る

この記事へのご意見、ご感想をメールでどうぞ