『労働通信』2002年11月号
「グローバル化」は、他の社会現象と同じように、人人の意思によって変えることのできない必然の社会発展史の過程である。資本主義は、物質の流動からはじまり、貿易にともなって国境を超え、世界市場の形成を基礎に商品輸出から資本輸出へ、生産の国際化・資本の国際化から多国籍企業の急速な発展へと、ひとつの長い発展過程をへてきた。こんにちでは程度の差こそ違うが、ほとんどすべての世界各国が、グローバル化の進行にまきこまれている。
グローバル化の核心は、資本のグローバル化である。すなわち資本の全地球的拡張がもたらす全地球的範囲の経済、政治、文化の諸関係の変化である。
資本は、生れながらに剰余価値の追求という絶対的法則に駆られ、不断に運動し、国ごとの資本から多国籍資本へと発展し、さらに多国籍資本からグローバル資本へと拡張し、その規模をますます拡大してきた。
資本のグローバル化は生産力という点からいえば、全地球的範囲で生産の科学化をおしすすめ、すべての遅れた生産様式を消滅させようとし、人人を自然への依存から解放させようとする。もはや勤労者は生産過程における主人公ではなくなり、生産過程から疎外されている。資本のこのような使命は、この一世紀に驚くほどの成果をおさめた。資本を中核とし、現代科学技術を基礎にした大工業が、しだいに全地球にひろがっている。そして、資本は発展すればするほどグローバル化し、全地球的範囲で社会主義のための現実的な条件をつくりだすのである。
グローバル化と社会主義とは、歴史的な深い結びつきをもっている。経済グローバル化の波は、科学的社会主義の誕生すなわち『共産党宣言』の発表からこんにちまで数えるなら、三回あった。
第一回のグローバル化の波は、一九世紀なかばから二〇世紀始めまでであり、この機運に乗じて、社会主義が誕生した。資本主義は、この時すでにかつてない生産力をつくりだしたが、一方では資本主義の基本的矛盾を激化させ、社会主義の理論と運動を出現させた。ロシア社会主義革命は、資本のグローバル化の産物にほかならない。
第二回の波は、一九七〇年代から八〇年代までであり、社会主義はこの時期に大きな発展をとげたがすぐに資本主義に大きく引き離された。その原因の一つは、社会主義国家の硬直した体制がグローバル化の波からかけ離れていたことである。
第三回の波は、一九八〇年代からこんにちまでであり、それは生産力の新たな発展、科学技術の新たな飛躍、生産の社会化の広範かつ深い変化をしめすと同時に、社会主義の実践がすでに証明したように資本とそのグローバル化にたいする態度は、社会主義の存亡にかかわっているということを示している。われわれが見てきた事実は、もし社会主義の発展をグローバル化の進行過程のなかに合致させようとしないのなら、そのような社会主義は、旧ソ連・東欧などの国国と同じように敗北に喫することである。反対に、中国の特色をもつ社会主義がこの二〇年間不断に力強く発展してきたのは、中国が主動的にグローバル化にとけこみ自国の特色をもつ社会主義発展の道を探求し、グローバル化の進行過程における中国の位置を明確にしてきたからであり、中国の現代化建設はグローバル化の進行の中で巨大な成果をおさめることができたのである。
総じて、二〇世紀はじめに社会主義国があらわれたのは、資本のグローバル化の産物であり、同様に二〇世紀末に社会主義が受けた挫折も資本のグローバル化の結果である。資本のグローバル化の深さと広さは、二〇世紀の社会主義の存在と発展を制約している。しかし、グローバル化の波は資本主義の必然的な滅亡の歴史的法則を変えてはいない。それどころかマルクスが予見した社会主義・共産主義実現の二つの条件――生産力の高度な発展と、世界の普遍的な交通の高度な発展――は、ますます成熟している。グローバル化による世界経済、政治と文化発展の情勢は、まさにマルクスが予想した社会主義の方向へとつきすすんでいるのである。
グローバル化と社会主義とは、結果における内的な同一性がある。それは、資本のすう勢が生産に科学性を与え現代的大工業を打ち立てることにあり、そして大工業はまさに社会主義確立の物質的基礎である。このために、資本のグローバル化と社会主義の発展の条件とは決して矛盾せず、前者は後者の前提と基礎であり、高度に発達し、グローバルに結びつき、社会的分業が発達し大工業と物質的富が豊富に蓄積された社会でなければ、それはまだマルクスがいうところの社会主義、真の社会主義にはならない。社会主義は、グローバル化の必然の結果であり、私的資本を中核として確立した資本主義は、資本の社会的所有への転化と物質的富の社会的占有に従って、最終的により高い段階の社会主義にとってかわられるのである。
社会的分業にもとづく生産の本質は、生産手段の社会的所有への変化を必然的に要求するようになる。このことが資本主義の基本矛盾を生み、しかもこの矛盾は資本主義的生産様式の運動の過程で不断に激化し、その結果、資本主義的私的所有制を基本とする経済と社会秩序にたいする否定となり、すなわち資本主義的私的所有制への自己否定となる。こんにち、経済のグローバル化によって、資本主義の基本矛盾も国外に転化している、このことは、一定の期間や一定程度において西側資本主義諸国の国内の矛盾を緩和させるが、世界的な範囲での不平等と矛盾をいっそう激化させる。グローバル化は、社会の生産力と分業の高度な発展による必然的結果と客観的要求であり、資本の世界的範囲での利潤追求でもあり、資本主義的生産関係と社会制度の地球的な拡張の歴史的過程でもある。

したがって、こんにちのグローバル化は、実際に資本主義が主導するグローバル化であり、それは資本主義の生産関係を全地球に拡大すると同時に、資本主義のさまざまな矛盾と弊害を全地球にまきちらすことによって、さまざまな社会的衝突と危機をつくりだしている。それは、世界的範囲での生産と消費のあいだの矛盾、独占ブルジョアジーとプロレタリアート、勤労人民とのあいだの矛盾、発達した国と発展途上国とのあいだの矛盾、および発達諸国間の矛盾を激化させている。経済グローバル化にともなうものは、さらに生態系破壊のグローバル化、資源破壊のグローバル化、さらに犯罪、飢餓、堕落のグローバル化がある。これらすべては、人類社会における生産力の発展と社会の全面的な進歩をひどくこばんでいる。それがつくりだした世界的な生産システム、金融システム、情報システムと管理システムは、全世界に社会主義、共産主義を実現するための必要な条件を整えさせている。その源は、現実に資本主義経済運動のグローバル化にあるが、その結果と前途は資本主義に反対している。
社会主義が、全地球的範囲において資本主義に対する止揚(しよう)であり超越であるのは、資本主義発展の必然である。
社会主義が必然的に資本主義にとってかわるということは、人類社会の歴史発展の客観的法則である。マルクスは次のようにいっている――「ひとつの社会構成は、それが生産諸力にとって十分の余地を持ち、この生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されてしまうまでは、けっして古いものにとってかわることはない」(大月書店版『全集』一三巻七ページ)。資本主義の時代は一六世紀にはじまり、こんにちまで五〇〇年の歴史的過程をへてきた。第二次世界大戦後の半世紀に、資本主義は部分的な自己調整、改良をへて、わりと強い生命力を示した。だが、社会主義は、東欧の激変、ソ連の解体というきびしい挫折をへて発展の谷間におかれており、したがって「一球両制」(世界に二つの社会制度)の現象は長期的に存在せざるをえない。社会主義国が資本主義国との関係、とくに西側先進資本主義国との関係をどう取り扱いどう処理するかは、一つの長期的・戦略的な課題であり、その処理の結果は直接社会主義の盛衰、成功と失敗にかかわるのである。

総じていえることは、社会主義と資本主義とのあいだの関係は、対立する一面もあればたがいに依存しあい協力し合う一面もある。いわゆる対立の一面は、「転覆」と「反転覆」問題に集中的に現われている。西側の社会主義国にたいする分裂、資本主義化という戦略目標は、変わることも放棄されることもありえない。この面の矛盾と闘争は、長期的である。しかし同時に、われわれが目を向けるべきなのは、社会主義と資本主義とのあいだには、継承したがいに関連しあうという面もあり、社会主義は資本主義を基礎にして発展してきており、それは資本主義への否定でもあり資本主義の継承でもあるということだ。社会主義と資本主義の関係は、時間上の因果関係における「代替関係」にとどまらず、さらに重要なことは、空間上の同時的な「依存関係」でもあり、両者のあいだにはたがいに学びあい協力しあうという一面もあり、資本主義は社会主義のものを学べるし、社会主義も資本主義のすすんだ方法を学ぶことができるということである。このことは、社会主義がグローバル化のすう勢にある資本主義との関係をいかに処理するかという重大な歴史的課題を提起している。
資本主義の発展を回顧し、社会主義国の経験を総括し、資本主義のグローバル化のもとでの社会主義と資本主義の関係をいかに処理するかという問題について、われわれは以下の主要な認識を得ることができる。
第一に、経済のグローバル化は客観的なすう勢であり、人間の主観的意志によって左右できるものではないことだ。資本主義が生れてから、グローバル化はずっと進行してきたし、工業革命以後この過程は大いに早まった。資本主義のグローバル化の発展は同時に、社会主義にもその条件を準備した。社会主義は一つの運動であり、資本主義が存在する限り社会主義運動は存在し発展し続ける。しかし、各主権国家の経済実力は不均衡であり、古い国際経済秩序が存在しているために、発展途上国は、先進国との付きあいのなかで制約をうけ、先進国に依存するという一面が存在せざるをえない。グローバル化の傾向は、社会主義国にとって積極的で有利な一面もあれば、消極的で不利な一面もあり、新しい発展のチャンスでもあれば、またきびしい挑戦でもある。したがって、グローバル化にたいしては、全面的な排斥や全面的な迎合という態度をとってはならない。唯一の正しい選択は、積極的な参与であり、有利なところを利用し、害があるところを避けることである。自国の実際状況と国家経済の最大の利益から出発し、自国のグローバル化に関与する段取り、速さと深さを決め、できるかぎり害より利が大きいという戦略、方針、政策をとることが重要である。
第二に、社会主義と資本主義は、社会の基本制度と発展の道筋において、本質的な違いがあり、相対立しているということである。このような対立と闘争は、グローバル化のもとで、必然的にアメリカをはじめとする先進的資本主義国の、発展途上にある社会主義国にたいする「資本主義化」と「分裂」という政治戦略の実施としてあらわれる。つまりかれらは、経済のグローバル化によって政治のグローバル化と資本主義的イデオロギーのグローバル化を必ず推進し、また政治のグローバル化と資本主義的イデオロギーのグローバル化でもって経済のグローバル化を保障し、社会主義制度を平和的に資本主義制度に変質させようとしている。このきびしい現実の脅威に直面して、社会主義国は、積極的にグローバル化のすう勢に関与する時、終始社会主義制度を堅持し、資本主義への道を拒否し、西側の敵の「資本主義化」と「分裂」のたくらみを警戒し、それをふせがなければならない。国際的には覇権主義と強権政治に反対し、世界平和を守らなければならず、国内においては民族経済を発展させ、社会主義の民主政治を完備・発展させ、人民の生活水準をたえず向上させ、社会主義を不敗の地に築き上げなければならない。
第三に、社会主義経済と資本主義経済は、すべて社会的分業と市場経済による資源配分の基礎の上に存立しているということだ。したがって社会主義と資本主義とがまったく相容れない、まったく異なり対立するものと見る観点を捨てるべきで、みずからすすんで資本主義との交通と関連のなかで自己を大きくし、発展させるようにしなければならない。
経済グローバル化の傾向は、各国の経済関係をますますたがいに依存させる。社会主義国は、このきわめて良いチャンスを利用し、対外開放政策を実行し、西側の先進諸国の進んだ科学技術、科学的経営形態と管理方法を学び吸収するようにしなければならない。外国の資本を利用し、対外貿易を発展させなければならない。しかし、対外開放とグローバル化に積極的に関与するなかで、終始国家主権と民族利益の擁護という基本立場を堅持し、経済上の安全を確保し、西側のいう「主権の削減」、「主権概念の時代遅れ」のキャンペーンにたいしてはっきりした見解をもつ必要がある。
第四に、社会主義に対する資本主義のきびしい挑戦に積極的に立ち向かわなければならないということである。この三〇年近く、資本主義国の科学技術と生産力の発展は比較的早く、しかも社会主義国はさまざまな挫折に遭遇し、両者のあいだの差は大きく開いた。これこそは、資本主義が社会主義に突きつけたきびしい挑戦である。
社会主義は、生きるか、滅びるかという大きな圧力に直面している。ソ連・東欧社会主義国の瓦解のおもな要因は、これらの諸国が進めていた社会主義現代化建設のなかで犯した一連の誤りにあり、とくにゴルバチョフの自由主義的改革がもたらしたものにある。しかしながら、資本主義国に現われていた経済繁栄とも無関係ではなかったのである。それは、一面では資本主義国がその強大な経済実力をよりどころにして社会主義国に対する平和的な転覆を強化し、他面では資本主義の繁栄の現実をよりどころにし社会主義制度への攻撃をおこない、社会主義制度を歪曲・否定し、社会主義国におけるイデオロギー上の混乱、大衆の思想的な動揺と社会の不安定をつくり出した。国際的に著名な学者テオトニオ・ドスサントス(ブラジル)は、社会主義は資本主義の挑戦に直面しており、社会主義を発展させようと思えば、社会主義についての伝統的な見方を変えなければならず、社会主義を運動としてとらえなければならず、以前のようにそれを固定的な計画の青写真と見てはならず、こんにちにおける中国の発展は非常に特殊な意義をもっていると見ている。一部の科学者は、社会主義は、歴史によって与えられたものではなく、実践の中でつくり出されるものであり、ソ連の失敗は社会主義の必然的な失敗を意味するものではなく、社会主義にはまったく他の道があり、中国や他の国ではりっぱに運営されていると見ている。
二一世紀社会主義発展の特徴は、二〇世紀社会主義発展の歴史的過程をふりかえり、社会主義発展の未来を展望して、以下のいくつかの面に概括することができるであろう。
第一に、二一世紀社会主義は、「唯一の社会主義モデル論」の誤りからさらに一歩抜け出し、マルクス主義の普遍的真理を各国の具体的実際に結びつけ、国際環境にさらに合致させ、時代の要求する特徴を反映した多様化の道を歩むであろう。社会主義の基本原則は守られなければならず、堅持されなければならないが、その具体的な実現形態、すなわちそのモデルは多様でなければならない。
二〇世紀の社会主義は挫折を受けたが、その重要な教訓は盲目的に他国のモデルをまねたからである。歴史と現実が証明したように、すべてを取り替えることのできる唯一の社会主義というものは、かつてなかった。社会主義のモデルは、歴史と現実による産物にほかならず、異なる国はそれぞれの社会主義のモデルをもつべきである。これは、それぞれの国の国情が違っており、しかも世界経済のグローバル化世界構造の多極化によって、各種の力がたがいに制約しあい、社会主義と資本主義の二大体制間の力の対比にも社会主義モデルの発生にもあれこれの影響が生じるからである。社会主義の多様性は、道の多様性、方式の多様性、体制の多様性と戦略の多様性としてあらわれる。復興しつつある多様な発展は、未来の社会主義運動の基本的なすう勢であり、したがって各国はみずからの特徴をもつ社会主義の道を歩み、自己の具体的なモデルを探し求めなければならない。
第二に、経済のグローバル化と情報化は、当面の世界発展のすう勢である。未来の社会主義は、閉鎖的な社会主義ではなく、対外的に開放される社会主義であり、資本主義と共存し、競争するなかで発展を得られる社会主義である。
二一世紀は、情報経済の時代であり、社会主義の発展は、科学技術革命と結合してのみ、はじめて生命力をもちうるのである。こんにち、どの国も他国の科学技術に学ばなければならず、たがいに補強しあわなければならない。情報経済の発展は、社会の各方面に深刻な変革を必然的にひき起こす。社会主義が、資本主義との長期的な共存における歴史的な競争のなかで優勢を得るためには、必ず科学技術と結合し、グローバル化に積極的に参与して生産力の高度な発展をうながし、資本主義にとってかわるための堅実な物質的基礎を築き、しかも世界的な範囲において自己の方向と位置を開放的に確定しなければならない。各国の社会主義は、地域的な、閉鎖的なものになることはできない。必ず開放的なものとなり、改革の度合いを大いに強化し、世界文明のすべての成果を吸収し、利用して新型の社会主義の基本経済制度を打ち立てなければならない。
第三に、二一世紀の社会主義は、必ずひきつづき発展し、新たな高揚と波状的な発展の軌道を現すであろう。経済のグローバル化と高度な科学技術革命が資本主義の自己調節能力を証明したとはいえ、この調整は資本主義の根本的な制度に触れないことを前提として局部的調節を行ったものであり、したがって、それは資本主義の基本的矛盾を緩和することができたとしても、その解決には遠くおよばない。こんにちの新しい歴史的な条件のもとで、これらの矛盾は新たな蓄積と深化の過程を始めている。資本主義の危機は、さらに全面的に展開され、資本主義の最終的な滅亡へと導くであろう。社会主義が資本主義にとってかわるには、当然、非常に長い曲折する世界的な歴史の過程をへなければならない。人類社会の発展史は、どのような古い制度の滅亡と新しい制度の発生も、長い過程が必要だということを証明している。社会主義は、搾取を消滅させ、階級を消滅させ、全人類を解放しなければならない。このような革命の性質と任務は、社会主義建設の長期性・曲折性を決定づけている。ましてや、こんにちの大多数の社会主義は、みな経済的な基礎が弱い立ち遅れた国に生まれているのである。ソ連解体と東欧政変の時に、西側の一部の人人は、大いに喜び、まるでいわゆる社会主義の終焉を見たかのように、社会主義は「この地球上から消え去った」と叫んだ。しかし、こんにちの現実では、社会主義がまさに生気をあらわしているのである。歴史の経験は、資本主義が存在する限り資本主義の基本的矛盾が、遅かれ早かれ革命を必然的にひきおこし、社会主義の運動が必然的に存在し、発展することをものがたる。ここで指摘しなければならないのは、社会主義の一九八〇年代末と九〇年代初めのきびしい試練をへて、人民が鍛えられ、教育されたことである。これは、二一世紀における社会主義の発展にとってきわめて重要な歴史的経験を提供した。とくに世界人口の五分の一をしめる中国は、前世紀末のさまざまな試練と挑戦に耐え、断固として中国の特色をもつ社会主義の道を歩んだ。社会主義が中国で勢いよく発展したこの事実そのものが、社会主義に強大な生命力があることを人人に教えている。このことは、社会主義の世界的範囲での復興を推進させるであろう。ブレジンスキーでさえ何の憂慮もなしに「総体的に見れば、中国がかちとった成果はきわめて人人を敬服させるものがあるといわなければならない」、「もし社会基礎構造と個人所得が経済成長の建設とともに改善されるなら、中国は、発展途上国にとって、とくにソ連の各共和国の人民にとって、ますます大きな吸引力をもつ代替の選択モデルとなり、すでに失敗と宣告された共産主義制度と西側方式で打ち立てた自由市場を基礎にした民主制度に取って代わることができる」と語っている。二一世紀なかばに、人人は、繁栄した強固な、社会の全面にわたって進歩的な、高度な文明と高度な民主をもつ現代化された社会主義中国が世界の前列にそびえ立つのを目のあたりにすることができるだろう。
それは、社会主義が必然の道であり、社会主義が資本主義を超えていることを人類に証明するであろう。