
『労働通信』2002年1月号
このコラムを書くにあたって私は、「戦争」という人間の行為についてみなさんがどのように考えられているのだろうということに思いをめぐらせ、また、私たちの限られた情報ソースのなかからいかなる真実を導き出せるのかということを考えながらペンを走らせた。
米英をはじめそれに同調する国々がアフガニスタンへの攻撃を開始して約三カ月、今もなお連日マスコミを騒がせている。そして、職場や地域、家庭など私の身近なところでもこの戦争について話題になることも少なくない。ある人は、戦争では何も解決しないというし、ある人は、テロを仕掛けた方が悪いのだから徹底的に武力でテロ組織を根絶するべきだという。またある人は、もし自分が戦争に参加したら家族を守るために命をかけてたたかえるだろうかと、米国兵士の気持ちを考える人もいる。私は、これらの人たちに、なぜ今回のテロがおこったのだろうか、永遠にテロをなくすためにはどうすればよいのだろうかと問うとほとんどの人は口をつぐんでしまう。おおくの人にとっては、九・一一の同時多発テロがこの事件のはじまりであり、あの貿易センタービルの破壊により何千人もの犠牲者がでた事実のみがこの戦争を正当化しうる原点なのである。
「戦争」とはなにか。「戦争は別の手段による政治の継続である」という有名な格言がある。要するに「戦争」は、相対する利害をもつ国家間での「話し合いによる交渉」では問題を解決することができず、「武力(暴力)による方法」で解決を試みる行為であるといえる。この観点から今回の報復戦争を見れば、「テロ撲滅」というスローガンが、自国民に戦争の正当性を訴えるだけの偽りの欺瞞性に満ちたものでしかなく、ほんとうの目的は支配階級による利益追求のための政治の継続でしかないのである。そこには、それぞれの国での「支配階級による政治上」の「正義」があり「正当な理由」が存在するのである。
それでは、「正義」とはなにか。「正当な理由」とはなにか。私は、それを考えるとき二つの観点から問題を提起したい。一つは、戦争の利害はなにか。表面的ではなく根本的に誰の利益のための戦争かということ。もう一つは、戦争が引き起こされたその歴史的背景(トリガーではなく)についてである。それらの分析から導き出される結論は、それぞれ相対する二つ以上の「正義」と二つ以上の「正当な理由」に分かれるはずである。私たちが、どれを「正義」と判断しどれを「悪」と考えるかは、すなわち誰の利益を代表するかということと同義語なのである。
ここに興味深い一つの例がある。一九七九年の旧ソ連のアフガニスタン軍事介入である。当時の商業新聞を見ると資本主義国はもとより各国共産党の一部からも非難の声が上がったことがうかがえる。旧ソ連にとってはまさに苦難の戦争の始まりであったことは、その後の経過が示しているとおりである。この戦争の性格を旧ソ連と米国の大国間の覇権争いや代理戦争という言葉でいいあらわしてしまえば、その本質を見抜くことはむずかしい。
まず、歴史的背景からみると、王制によるアフガニスタン人民への搾取と抑圧は、一九七三年に共和制をかかげたダウド政権による王制打倒により終わったかのように見えた。しかし、人民への搾取と抑圧は、ダウド政権のもとでも搾取側の主体が変わっただけで今までと同じように行われていた。そのような状況のもとで次第に社会主義をめざす勢力であるアフガニスタン人民民主党(一九六五年結成)への支持が高まりその勢力を拡大させていった。一九七八年四月ついに人民民主党は腐敗したダウド政権を打倒しアフガニスタン民主共和国の宣言を行った(四月革命)。
しかし、米国をはじめとする帝国主義国に後おしされた反革命は容赦なく軍事的攻撃とテロとで政府の転覆を企てた。そのようななかで一二月にアフガニスタン革命政府は、アフガン・ソビエト友好親善協力条約を締結し互いの協力関係を確認したのである。しかし、反革命の攻撃はとどまるところを知らず、社会主義にむけた政策を著しく妨害した。そしてついにアフガニスタン革命政府は、友好親善協力条約にもとづき革命政府を守るため旧ソ連に軍事支援を要請し、一九七九年一二月二七日、旧ソ連はそれに応えたのである。これが旧ソ連の軍事介入の背景である。
次に、だれの利益のためのたたかいであったのか。ここに一九八四年当時のアフガニスタンの資料がある。それをひもとくと革命から七年目のアフガニスタンの状況がよく書かれてある。この時期、アフガニスタンは、旧ソ連の軍事援助により反革命軍をある程度押さえ込んでおり、社会主義政策をおしすすめている。革命後、工業と農業を発展させるにあたり、「文盲撲滅」が不可欠の課題となった。革命前アフガニスタン人民の圧倒的多数(男九〇%、女九八%)は、文字を奪われ知識の暗黒のなかに閉じこめられながら、強度の搾取と収奪により極度の貧困にあえいでいた。革命政府により人民に教育を受ける権利を実際に保障する物的基礎をつくりだし、全人民を対象とする識字教育の普及に最大の力が注がれた。当時の資料では、全国で五二〇〇以上の識字学校の約一万五〇〇〇教室で約一四六万人が学んでおり、約一万五〇〇〇人の教師が教えている。
そこでは、初歩的な文字や算数から農業共同体構成員のためのプログラムまでそれぞれの段階にあわせた教育がおこなわれている。全人民の教育とともに工業化をおしすすめ、ダム・発電所等の大型プロジェクトも盛んに計画され実行された。農業の共同化によりコンバインなどの大型機械を導入し、より生産性の高い仕組みを構築しつつあった。
これらは、すべてアフガニスタン人民の絶え間ない努力と旧ソ連・社会主義体制の援助・支援があったからこそ実現できたことである。そして、反革命ゲリラによる莫大な経済的損失を克服し、革命の年に比べ、GNPで六%、国民所得で六・三%、農業生産で七%以上の増加を勝ち取った。革命後の労働者の賃金は五〇%上がり、住宅が建設され、労働者クーポンにより安く生活物資が手にはいるようになった。このような事実は、われわれの世界で知るのは非常に困難なのだが、それを一つ一つ検証していかなければ本当の真実を見分けることはできない。そしてこれらの事実からもこのたたかいが、誰のためのたたかいであったのか。反革命を支援することが誰の利益を奪うことになるのかが見えてくるのではないだろうか。
先にも述べたが、大国の利権争いという言葉で言い表わしてしまえば、たぶん旧ソ連軍事介入のねらいは、不凍港の確保、石油の利権、親米パキスタンへの牽制などというものしか出てこないであろう。しかし、私たちは、情勢を分析するとき空想ではなく常に現実を分析する科学的な眼を持たなければならない。
私が、ここでいいたかったことは、今日アフガニスタンの情勢を語るとき、平和について考えようとしている人でさえ、一九七九年と二〇〇一年の出来事を「戦争」というキーワードで同列に語ってはいないか、さらには、今回の米英による「報復戦争」の方が「正義」であり「正当な理由」があるとは思っていないかということである。もちろん私は「戦争」には断固反対の意志を表明するが、それと同時にその意思表明の矛先をどこへ向け行動しなければならないのかということをはっきりさせたい。私は、この矛先を間違ったり、あやふやにすることは、その「戦争」に荷担することと同じように罪深いことであると考える。このコラムを読まれた方々がどのような感想を持たれるかは、人それぞれであると思うし、共感される方もおられれば反感をもたれる方もおられるだろう。しかし、今回の戦争について、マスコミ報道だけではなく違った観点から「戦争」というものを見つめていただける機会になれば光栄である。
最後に、歴史はときに非情な側面を持っている。旧ソ連軍撤退(一九八九年)及びソ連邦崩壊(九一年)後の九二年、帝国主義国に後押しされた反革命は「ジハード」の名のもと革命政府を打倒した。その後反革命政府は、人民を無視した各派の党利党略による内戦へと突入し歴史の歯車を逆回転させてしまった。
アフガニスタン人民は革命政府時代の希望に満ちた日々を決して忘れはしないだろう。人民は反革命の圧倒的な力により一時の退却を余儀なくされたが、この試練と経験はさらに大きな力となって再び歴史の表舞台に現れることになるであろう。
戦争を考えるということでの記述はここで終わりであるが、私としてはあと二つほど述べておく必要があると思われる事柄について付記という形で記述したいと思う。
では、なぜアフガニスタン革命政権は打倒されてしまったのだろうか。私たちはアフガニスタン革命防衛のために流された血を無駄にしないためにもこのことを分析し同じ轍(てつ)を踏まないよう歴史の経験から学ばなければならない。革命政権が打倒されたという事実は、革命政権の戦術に決定的な弱点があったことを証明している。複雑な情勢のもとで革命政権が苦悩しながらおこなった戦術であり、私の手元にある貧弱な資料だけではその弱点を究明する事ははなはだ困難ではあるが、今後次項のような切り口から分析していきたいと考えている。さらに、有効な戦術を立てられなかった責任をアフガニスタン革命政権や旧ソ連指導者にだけ押しつけることは国際主義に反すると考えている。とくに最後の項目に関しては帝国主義国内のわれわれ自身がおこなわなければならない闘争でもあるということを忘れてはならない。
今回のテロ事件を口実に帝国主義諸国は、各国の利害のもと国際的な「団結」をはかることに成功した。小泉政権は、「テロ対策特別措置法案」を強行成立させ、ついに自衛隊を米国の軍事作戦に参加させた。国内外の労働現場では、テロの影響を理由に大幅なリストラがほとんど抵抗のないままおこなわれている。また、公安の体制は強化され、民主的な運動への牽制もおこなわれている。今回のようなテロは、たしかに一時的・部分的には、敵に打撃を与えることができるであろうが、敵はそれを最大限利用し何十倍もの力を得て反撃してくることが証明された。このような事実からも、人民の支持を得られない無差別テロルが、民主化闘争、階級闘争にとって百害あって一利無しの戦術であることを改めて認識しなければならない。