『労働通信』2001年7月号
<5月号掲載分>
<7月号掲載分>
以上にのべたように、国際資本主義が資本の吸血管を全地球に伸ばそうとするのは、資本主義の基本的矛盾を緩和させ、自己を死滅から逃れさせようとしているからである。血を吸い込めば効果があるとしても、長い目で見ればごまかしの場当たり的な行為にほかならない。それは、資本主義の世界経済体系をつくりだすと同時に、資本主義の病根、すなわち資本主義の基本的矛盾を全地球に拡散したことにもなる。
周知のように、いわゆる資本主義の世界経済体系は、国際資本主義を中心とし、広大な発展途上国を外郭とする不平等な経済構造である。矛盾の双方は、それぞれ、自己の対立面を存在の前提としている。国際資本主義が主導する経済のグローバル化は、発展途上国を支配すると同時に、かならず国際資本主義自身の首をしめるようになる。経済のグローバル化の度合いの深化にともなって、資本主義の基本的矛盾の運動は、必然的にますます第三世界の発展状況によって左右されるのである。
半世紀あまり、独立して資本主義の道を歩んできた発展途上国の工業化は、おおまかに三つの段階を経てきた。五〇年代から六〇年代中期までを、スタートの段階とし、六〇年代中期から七〇年代中期までを、高度発展の段階(国内総生産年平均成長率が五%〜六%に達していた)とし、七〇年代後期以後を、停滞、衰退の段階(一九八〇〜一九九〇年は国内総生産年平均成長率二・六%であり、一九九〇〜一九九四年はマイナス〇・一%である)としている。
この過程は、「成長〜衰退」の鐘型曲線を描き、資本主義がみずからの基本的矛盾を緩和させるための努力と発展途上国の経済発展との連関関係をきわめて鮮明にしめしている。国際資本主義がその基本的矛盾を緩和させるために発展途上国へ資本を輸出したことは、発展途上国の工業化の発展を刺激し、おしすすめており、それは国際資本主義に新鮮な血液を準備することとなった。国際資本主義は、血液をすうことによってその基本的矛盾を緩和したが、発展途上国は貧血となり、はなはだしきは血液を完全にすいとられたために経済が停滞と衰退におちいってしまった。それでは、その後は、どうなるのだろうか? 資本主義の基本的矛盾は、さらにどのように緩和できるのだろうか?
「発展できない」発展途上国
この問題にこたえるために、われわれは、発展途上国の発展の現状をみないわけにはいかない。
産業構造の内部は、農業、農村を衰退させ工業と農業の発展のアンバランスをつくりだした。戦後の初期、おおくの発展途上国は、まだ食糧の自給自足を維持することができたが、八〇年代以後、食糧の不足は日ましに激しくなり、さらに食糧危機までに発展し、アフリカ大陸では、はなはだしく世界を震撼させた大飢饉さえおこった。九〇年代以後、食糧危機は依然として、あきらかな緩和、解決をみずに、その範囲はいっそう拡大しつづけている。国連食糧農業機関(FAO)は、かつて九〇の発展途上国で調査をすすめたが、そのうち七〇カ国の食糧状況が悪化していることが判明した。農業、農村の衰退は、必然的に国内市場の緩慢な成長をひきおこし、はなはだしくは萎縮すら出現させるので、工業化のいっそうの発展をおしすすめるさまたげとなっている。
工業体系の内部に「二重化」の構造分化があらわれている。このような現象は、対外輸出経済を主要な発展戦略とする発展途上国にとくに顕著である。「輸出主導型経済」はおおくのラテン・アメリカ諸国と一部のアジア諸国が採用したおもな発展戦略であった。しかし、過度の海外市場、とくに西側市場への依存は、自国、自地域の産業構造と工業構造にアンバランスな変動を必然的に出現させ、輸出産業の過大な膨張と内需産業の相対的萎縮をもたらし、経済曲線の変動に深い病根を残す。
それは、不利な国際分業の地位をもたらしている。発展途上国は、いわゆる「比較の優位」をもって国際分業体系にくわわっていった。それでは、発展途上国には、とどのつまりどのような「比較の優位」があるのだろうか? 廉価な資源、ただこれだけである。それは、人的資源と天然資源をふくんでいる。このような「優位」は、発展途上国を国際垂直分業の底辺に送りこむのにちょうどよく、「発展できない発展」をつくりだしている。
国際貿易環境は悪化している。工業化の初期において、これらの発展途上国は、きわめて安い原材料および第一次産品をもって先進諸国と交換し、「経済互恵性」は、比較的に強かった。しかし、一部の発展途上国の生産能力と製品の一定程度の高級化、技術含量の一定程度の増大にともない、競争力が相対的に強化されると、南北経済関係の互恵性も相対的に減少する。そうすると、先進諸国の貿易保護主義が台頭し、広範な発展途上国に大きな損害をこうむらせた。
農業の衰退、工業構造の「二重化」、不利な国際分業の地位と国際貿易環境の悪化は、経済のグローバル化を背景とする発展途上国の工業化発展の落とし穴を構成している。国際資本主義も予想していないだろうが、かれらが発展途上国のために掘った落とし穴に、自分も落ちてしまったのである。これはすなわち資本の国際循環がはばまれたことによるものである。
先進国経済のバブル化
それはまず、独占資本の過剰と「バブル化」のすう勢を加速させている。八〇年代いらい、工業化初期に第三世界に大量にながれこんだ西側の資本は、環流しはじめた。西側先進諸国の対外直接投資総額に占める発展途上国の比率は、六〇年代の二〇%から八〇年代中期の一〇%に下降した。一九八四年〜一九八八年まで、先進諸国のラテン・アメリカ諸国への直接投資は、五〇%減少した。国際貿易の面では、発展途上国の対外貿易の世界貿易総額に占める比率は、しだいに低下のすう勢にある。大量の過剰資本は、西側に環流して、世界に横行する投機資本を拡充し、現代西側経済の投機性と賭博性をますます強めさせている。八〇年代いらい、数もおおくかつ規模も大きい資本投機集団、すなわち「ヘッジファンド」の急速な出現は、世界経済において人人に注目されているあたらしい現象である。資本の過剰と貨幣資本の投資は、西側ひいては世界経済体系の金融危機をおおいに増大させた。東南アジア金融危機は、すなわちこのような背景のもとに発生したのである。
つぎは、西側の産業資本の拡張が抑制されたことである。西側は、エネルギー、原材料およびその他の第一次産品の面で、いっそう発展途上国に依存し、しかも自身の実体経済はいっそう萎縮している。もっともいちじるしいあらわれは、その輸出の相対的低下と巨額な貿易赤字である。いま、もっとも発達した国とみられているアメリカは、全地球の最大の貿易赤字国である。一九九八年、その貿易赤字額は二六一六億ドルに達した。アメリカの対外貿易の巨額な赤字をつくりだした主要な原因は、鉱物燃料と既製品の輸入超過にある。これは、アメリカ経済における実物生産の低下という事実をいかんなく反映している。
地球的規模で貧富の格差拡大
第三は、全地球的範囲の二極分化ということである。それはまず、国家と国家のあいだ、民族と民族のあいだの二極分化である。江沢民は、国連ミレニアム・サミットでの発言でつぎのようにするどく指摘した。
「おおくの発展途上国の発展は、こんにちにいたってスタートを切れないでおり、南北発展の差と貧富の激しさは、ますますおおきくなっている。一方で北の先進諸国の富が不断に蓄積され、他方で南の発展途上国の貧困が不断に激しさを増している。富者は、ますます富んでいく。貧者は、ますます貧しくなる。現代科学技術と経済のグローバル化の発展は、世界各国に普遍的に受益させることなく、世界発展におけるアンバランスは、いっそう重大になっている。全世界の一三億人の生活は、絶対的な貧困ライン以下におかれ、一日の生活費が、一ドル足らずである。先進諸国は、全地球総生産の八六%と輸出市場総額の八二%をもっている。しかし世界人口の圧倒的多数を占める発展途上国は、わずかそれぞれ一四%と一八%を占めるにすぎない」。
そのつぎは、発展途上国内部の二極分化である。一部の発展途上国は、国情をかえりみず、西側資本主義の発展の道を無批判に是認し、つぎつぎと私的所有制の経済制度をうちたて、いわゆる投資意欲のつよい金持ちに資本を集中させた結果、国を本気で隆盛させようとする志士をつちかうことができず、反対に一群の買弁ブルジョアジーを生みだすことになってしまった。かれらは、一方で西側の独占資本が自国の人民を略奪することを助け、他方で欧米の生活様式を極力まねている。
国際独占資本の搾取により、よりおおくの資本を蓄積することができず、たとえすこしの蓄積があったとしても、これらの買弁は、それを拡大再生産に投入せず、個人の贅沢をきわめる享受に使い、その結果は、金持ちの生活は豪華で欧米の大富豪に近づくが、貧者の生計は厳しく、身体をまとう服さえもないありさまである。このような全方位の二極分化は、必然的に全地球的な需要の不足、経済的衰退、環境破壊と社会不安をもたらし、根本的に国際資本主義の経済秩序と政治支配を揺るがさずにはおかない。
延命の手段が少なくなる
現代世界の歴史的発展過程は、資本主義の固有の基本的矛盾が資本主義体系の内部で解決しておらず、またそれを解決しえないことをしめしている。経済のグローバル化は、資本主義的生産様式を極限までに拡張させるが、また資本主義の基本的矛盾を緩和させる余地をも極限までに縮小させている。去るものは阻むことができず、くるものは追い払うことができない。いま断定できることは、矛盾を緩和させ、延命をはかる手段がますます少なくなっており、直面するであろう矛盾と危機がますます多くなるにちがいないということである。これからの道が、まだどのくらい長かろうと、資本主義は、必然的に消滅の淵にむかわないわけにはいかない。
この世界歴史の大きなすう勢にたいして、資本主義世界の正直な学者は、たぶんより深く体得しているかもしれない。アメリカの世界システム研究の著名な学者であるイマニュエル・ウォーラーステイン氏は、率直に「資本主義は必ず過去となり、その特定の歴史的体系がふたたびあらわれることはない」、「それは人類歴史上において、一過性の人々を引きつけた演習であり、特殊な、異常な時期における演習である。しかし、それはより平等な世界への移行における長い歴史のなかの重要な瞬間であり、あるいは、それは本質において人類の一部を搾取する不安定な形態である。そのあとには、世界は比較的安定した形態に回復するであろう」(『歴史的資本主義』中国語版一〇八〜一〇九ページ)と指摘した。資本主義にとってかわるその「平等の世界」とはなにか? マルクス、エンゲルスは、早くも一五〇年も前に「社会主義と共産主義である!」という驚くべき回答をあきらかにしていた。
[編集部注]イマニュエル・ウォーラーステイン氏の著作からの引用訳文との一致は未確認だが、この著者にはつぎのような邦訳書がある。
松岡利道訳、藤原書店、『アフター・リベラリズム―近代世界システムを支えたイデオロギーの終焉』、一九九七年。丸山勝訳、藤原書店、『ポスト・アメリカ―世界システムにおける地政学と地政文化』、一九九一年。ほか。
(連載おわり)