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旧国鉄=JRの不当労働行為の歴史を振り返る(下)

『労働通信』2001年5月号

旧国鉄=JRの不当労働行為の歴史を振り返る(上)・・・『労働通信』2001年3月号

 一月二七日におこなわれた国労続開大会は、反対派を排除して「四党合意」を強引に承認し、あらたな本部役員体制で「組合員が納得できる解決」をめざしていくとしていた。新執行部は「四党合意」をうけいれたとしてもJRの不当労働行為の責任追及は継続していくと約束したが、三月現在、東京高裁訴訟のとりさげをもとめる政府自民党と、裁判継続の組合員、そして双方のいい分を受け入れて矛盾した約束をする国労本部の三つどもえの混乱がつづいている。一歩さがれば二歩ふみこんでこられるように、政府とJR資本は「解雇撤回、地元JR復帰」どころか一○四七人を合法的な解雇であると認めさせようとしている。国鉄労働者にたいする不当労働行為は歴史的に存在していたことを考える重要な時期である。

 一九八一年に政府は財界主導の第二次臨時行政調査会(第二臨調)を発足させ、三公社五現業の大「合理化」、とりわけ国鉄改革にむけ冷酷で手段をえらばない方策により、たたかう労働組合の解体をおしすすめてきた。国鉄改革政策に協力するのか、それとも屈せずに政府と当局にたいし団結してたたかうのか。当時、血を吐くような状況がくりかえされていたのである。

国鉄・JRの悪らつな組合つぶし

 政府と財界の国鉄「分割、民営化」計画は進行した。全国の職場管理が強化され、ビラはりなどの勤務時間内の組合関係の行動はきびしく制限された。とくに抵抗する労働者には容赦なく弾圧がくわえられた。

 組合のワッペンをはずせと長時間の強要。私物の組合関係の資料を勝手にもちさる。不当労働行為の現場を記録している組合員にたいして組合活動だといって業務停止処分にするなど。それに追いうちをかけるように「進路希望アンケート調査」をおこない、「職員管理調書」を作成して分割、民営化に反対する労働者を包囲していった。アンケートに記入することは分割を認めることになるし、反抗的態度や過去に処分を受けていれば調書に記入されたいへん不利な状態におちいってしまう。さまざまな組合員は相当な屈辱と自問自答の心労にさいなまれた。

 国労の再三の交渉要請にたいして、当局は合意されていないことを理由に拒否しつづけ、いっそうの孤立感を国労組合員は感じていた。こういったなかでみずから命をたつ労働者の人数が拡大した。

 一九八六年、あらたに「労使共同宣言」が当局から各労組にしめされた。やはり労使一致協力と「余剰人員対策」を趣旨とするものである。動労などは「雇用確保のためならなんでもおこなう」という態度をつらぬいた。労使共同宣言にもとづいて北海道や九州から本州へ広域配転することが合意されたが、それに反対している国労は「カヤの外」におかれ、広域移動の募集という「雇用確保対策」を横目でみることになった。

 このようなもやもやする状況がつづき、とうとう国労からの脱退者があいついで大量にでてきた。かれらは「真国労」を結成したり、動労や鉄労に加盟した。

奴隷状態だった国鉄労働者

 八六年、国労本部は第四九回大会で雇用と組織をまもるためといって「大胆な妥協」を組合員に提案した。それは、

  1. 労資関係の正常化をはかる
  2. 雇用安定に関する協定を締結する
  3. 不当労働行為の訴訟を取り下げ、当局と協議を開始し労使共同宣言を締結する、

――という内容であった。この方針をめぐって第五○回臨時大会(修善寺大会)では、賛成派、反対派の論戦が展開され、投票の結果「原案否決」となり、本部執行部は辞職して国労を脱退、新組織を結成し、当局との「妥協」を実行した。

 同年、中曽根政府は「国鉄改革法案」を発表。八七年四月の新会社設立にむけたお膳立てが進行する。「国鉄改革法第二三条」では、国鉄が継承法人(新会社)に採用させる労働者の名簿を作成し、継承法人の設立委員会がその名簿のなかから採用するという規定がもりこまれた。この条文には法案審議から「分割、民営化に異議を唱える職員を排除することにつながる」といったつよい批判がだされていた。当時の橋本運輸大臣は国会答弁で「所属する労働組合によって差別がおこなわれることがあってはならないと思います」とのべ、国会の付帯決議でもわざわざ「特段の留意をする」といった。ところがそれは見事に裏切られたのである。

 二一万五〇〇〇人の新会社職員を選別する法案が可決され、「職員管理調書」にもとづく差別選別の職員採用がおこなわれた。北海道と九州では七〇〇〇人以上が採用されず、国労と全動労組合員がそのほとんどを占めた。採用にならなかった職員は一回目のクビを切られて一括管理のため清算事業団に移動させられた。そのうち国労組合員が八○%を占めていたので、あきらかに組合差別であるとしてそれぞれの地裁へ訴訟がおこなわれた。清算事業団は、「再就職訓練場」とは名ばかりで、実際は各労働者がつちかってきた技能とはまったく無関係に草取り、文鎮づくりなどが命令され、「タコ部屋」にちかい環境で仕事をさせられた。また、五五歳以上の職員と休職者、「希望退職」者や再就職のあっせんをうけた職員も新会社への採用から除外された。採用された職員にしても、自分はどこでどんな仕事をするのかなにも事前にしらされなかった。わかっていることは減額された退職金と劣悪な労働条件であった。これらすべてが不当労働行為である。

 かくして「鬼の動労」といわれた動労も松崎明委員長を先頭に政府と国鉄当局、JR会社の雇用をちらつかせた恫喝に屈服して(二〇二億円問題も含め)、役員みずから広域配転に応じるなど正反対の路線転換をおこない、国鉄闘争解体の一翼をになわされた。

 八七年四月一日、プラットホームを清掃する技術系組合員や駅のそばやで働く運転手の姿がみられたが、それぞれの胸には国労バッジが輝いていた。いつかはこのような屈辱をはらす希望をたくして四万人あまりとなった国労組合員はよりつよい団結をかためていた。

責任はJRにあり

 しかし、国労本部はうらはらに、政府・JRからの路線転換の強要に弱腰になり、とりひきで相手の譲歩をもとめるような官僚的組合運営をおしすすめたのである。

 そのような状況が今回の「四党合意」にいたる九八年の「補強五項目方針案」であった。

 国労第六三回定期大会で本部から提案された補強五項目とは、

  1. 国鉄改革法を認めること
  2. JRに移行してからの係争責任の解決にあたり、当該エリア本部とJR各社で交渉かさね解決をめざすこと
  3. 将来、産業別労働組合の組織化を展望して名称を含め論議していく
  4. 労働条件の改善、正常な労使関係の確立をもとめ、JR連合に共同行動を働きかける
  5. 自民党ほかすべての政党に要請をつよめ政府の決断をせまる

――などである。本部は政府・JRからのたびかさなる組合つぶしの攻撃に白旗をあげ、解決の糸口を団結でなく「政治」の舞台にもとめた。

 これらはJR資本がのぞむ国労のすがたであり、おおくの組合員が「これまでのたたかいを無駄にするものだ」と反発した。

 次期大会では@項が承認されたが国労組合員への攻撃はなおいっそうひどくなった。九八年東京地裁でだされた判決は、国労組合員であることを理由にJRに採用されなかったのは「不当労働行為」にあたるとして、これらの労働者の採用をJR各社に告知していた中央労働委員会の救済命令をとりけすというものであった。昨年暮れの高裁判決でも、東京地裁判決を支持するという判決をだした。司法は「労働委員会制度」を根本から否定したのである。

 なにがなんでも一月二七日の続開大会で「四党合意」を承認すべく本部は強行採決をおこなった。交渉の武器をなげすてたのでクビをきられた組合員の何人が再雇用されるのか、どれだけの金額が和解金として提示されるかもわからないことになってしまった。一説では数十人と八○万円という話である。

 国鉄「分割・民営化」は、もともと労働者と国民に犠牲をおしつけ、国鉄を独占資本がつかいやすいように再編するのが目的だった。その結果、政府が法律をつくって公然と首切りを強行する国家的不当労働行為をおこなったのである。「使用者責任」はもちろんJRにあり、代償は政府がとるべきものである。国労が大会で承認した「JRに法的責任なし」はあきらかにまちがいであり歴史がそれを証明している。

全産業に広がる国鉄方式の首切り

 国鉄闘争の切り崩しが全面的におこなわれている背景の一つに、日本経済が世界経済のグローバル化に遅れて、いっこうに危機的状況からぬけだせないでいることがある。リストラ「合理化」、規制緩和、構造改革のもとで、いっそう過酷な大量の首切りをすすめ、これに抵抗する労働組合の権利とその基盤を根底からつきくずしていこうとしているのである。自社の系列からはずして別会社をつくって既存の賃金の約半分で労働者をこきつかうといったように、国鉄方式の首切りや再雇用制度はすでに全産業にひろがっているが、こうした解雇形態をおこなってもなんら法的責任を資本家は問われないし、やりたい放題のことができることを意味している。全産業の労働者は政府と資本家の意図する「行政改革・規制緩和」政策を見破り、その課題をかかげながら具体的な職場の問題を追求して産業間、企業間で団結を深めて労働組合運動を高めていくことが重要である。

 

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