関東地方・郵便労働者
『労働通信』2000年9月号
『労働通信』7月号で、郵便輸送労働者の就業時間前の入浴の権利をめぐるたたかい が報告されていたが、これにこたえるかたちで、始業時間前のラジオ体操の強要などとたたかう関東の郵便労働者から投稿がよせられた。
いま、郵便局の職場において、2001年の郵政事業庁、2003年の公社化にむけて、当局による露骨な労働条件の改悪、労組の弱体化が進められている。
ここで、ここ数年の当局の攻撃を自分の職場経験からすこし整理して報告としたい。
三年前に関東(郵政局)七施策というものがだされ、被服の正常着用、身だしなみなどといったまるで中学や高校の校則のような施策をだしてきたことはまだ記憶にあたらしい。じつはこの施策の中身たるや、全逓でも最大の組織率、人数を誇る全逓関東にゆさぶりをかけはじめたさいしょだった。
このとき、わたしの職場では、内部事務者にたいして「サンダルばきをやめて、靴をはけ」という当局の攻撃にたいして、靴が当局から支給されていないことをたてにとって、分会で一年半にわたって闘争をくんできた。
結局、靴を支給されていないのだからほんらいはだせるはずのない業務命令違反(この場合は「社会常識」にてらしてもお客の眼からみてもこのましくない服装という理由らしい)というかたちで処分をだすぞ! という当局の圧力や、人事交流(異動したくない人にとっては強制配転)による仲間の他局への配転に屈したかたちで終息した。
また、組合の上部組織である支部組合には全体的には支持してもらったが、支部長と地区本部(支部の上部組織)は支持しないというかたちであった。そして、わたしも他局へと強制配転された。
一年前に「一局一自慢」と銘うち、ボランティアという美名のもと局前のロータリー清掃と局前の花のポットの世話がはじめられた。これは勤務時間前である早朝に「地域に愛される郵便局づくり」を目標にしてボランティアというかたちで当局がやっている施策である。
ボランティアと表むきはいっているので強制はしないと当局はしているが、その実際は班ごとに輪番でやっている職場があるなど、ほとんど強制的になっている。さいわい(?)わたしの職場は家庭をもつ女性がおおいこともあり、出勤時間にむりというなかまがおおいので一部の役職をのぞく組合員はだれも施策参加していない状況にある。業務命令でもなくお願いというズルイかたちでの当局のこの手の施策にたいして、組合も本腰をあげて当局とやりあう気はまったくみうけられない。
今年の四月に、いままで勤務時間内にやっていたラジオ体操を勤務時間前に実施するという方針が県南の全局にだされた。
すぐ、職場で分会集会をひらき、時間ぎりぎりまで職場に入室しないことをきめ、全逓関東に相談し、その結果、ラジオ体操を勤務時間前にやるという文言をけずらせた。
しかし、またもや、一度だしてしまったメンツがあるのか不当にもほぼ強制的ないい方で時間前ラジオ体操を公然と導入させようとしている。それにたいし分会としても時間前ラジオ体操を拒否しつづけている。もし、当局がつよくいってきたときは、かたちとしては支部組合に話はとおすが、すぐに勤務時間前の業務命令という当局の不当な発言であることを職員同士で現認し、労働基準監督署に管理者の眼前で通報する予定である。
以上、整理してきたように、当局の人事交流、関東七施策、職場活性化計画・職場新活性化計画(一局一自慢、勤務時間前ラジオ体操もこれに類する)という、たてつづけにだす施策の共通の背景としては、「雇用をまもる」というお題目で当局のだす施策に反対もせずになんでもあけてとおしている全逓中央本部の交渉姿勢がある。そのことをはっきりさせているのが、サンダル闘争や勤務時間前ラジオ体操拒否闘争時の全逓の県や関東という上部組織の日和見的態度である。
サンダルにしても支給されていないことや、内務の職員の足もとは一般的に客の眼にふれないことを考えたとき、どうみても労働者側に正義があるにもかかわらず、組合員の怒りや痛みの立場にたった誠意ある交渉がなされていない。
ましてや、勤務時間前のラジオ体操にいたっては、局前ボランティア清掃のときの方便につかっていた「強制ではなくお願いです」の言葉さえいわずに、ほぼ強制的に実施しようとしているわけで、その実態はりっぱな労基法違反である。それにもかかわらず、全逓関東は「勤務時間前に実施する」という文言こそはずさせたものの、「組合員が自主的に体操を時間前にやっている場合においては個人の問題なので当局を追及できない」とにげてしまった。
これでは組合も、仕事のミスを職員個人の責任に転嫁しようとしているわが身たいせつの本省や現場管理者とおなじだ。ほんらい、組合員全体の問題としてとらえ交渉すべき労組指導部が、個人の問題にすりかえているようじゃ労組の存在価値が根本から問われる。
いまの全逓関東は当局とおなじ論法で「多様な価値観」「公正で公平な賃金」「生きがい」「働きがい」「暮らしの豊かさ」などの言葉をつかって、職場をいままでの集団ではなく、個人でとらえていくような「個のイデオロギー」をふりまいている。そして、労働組合のいちばんたいせつな「団結」を、職場ではなく地域ボランティアや選挙などという余計なことにむけて組合員をつかれさせている状況にある。
いま、全逓の職場のなかでは生活賃金という労働者としてあたりまえの学習すらできていないなかまがふえてきている。わかい組合員のなかには年輩の人を「仕事もできないくせに高賃金もらいやがって!」と誹謗するものさえでてくるようになってきており、当局の施策についても協力的な組合員すらでてきており、労働者学習が急務となっている。
とにかく、どんな小さなことでもいいからあたりまえのことに怒り、いいあい、行動できるような職場づくりがいまもとめられていると思う。そのためにはあまりむりをした運動ではなくあつまったなかまが最大公約数でできるような運動をつみかさねることを重視し、それを土台にして、中心的な活動家はすこし「背伸び」した運動もやって全体をひっぱりながら、職場の労働者全体の団結をかためていく運動を今後もとりくんでいこうと考えている。