田村 陽一
『労働通信』2000年9月号
7月18日、山口県阿武郡須佐町の弥富交流センターにおいて、坂本慶一京都大学名誉教授による『農業が栄えれば国も栄える』と題する講演会がもたれた。講演会は、須佐町、田万川町、農協の協力でひらかれ、80人あまりが参加した。
わたしも、労働者として農業・農民問題をしんけんに考えるためにこの講演会に参加した。
最初に、講演会実行委員会会長の原田氏が「昔は五反で一家が食えていたがいまは農業だけでは食えない。農外収入を機械代につかわないと農業ができないという状況だ。この危機を突破しようということで、講演会をとりくんできた」とあいさつした。
坂本名誉教授の二時間半にわたる講演の要旨をわたしなりにまとめて報告したい。
坂本慶一名誉教授の講演要旨
わたしが京大をやめるときの記念論文集として『人間にとって農業とは』と題する本を出版した。今日の演題の逆を考えれば、「農業がおとろえれば国もおとろえる」ということになる。
わたしの専門は農業原論であり、それは農業の哲学だ。農=生ということの結論をだすのに一七年かかった。Life(生)ということばを日本語では正確に訳せない。生命、生活、人生(いのち、くらし、生き方)をいう。
「いのち」についていえば、われわれが食べているものは全部生きたものを食べている。いまの子供はそれがわかっていない。人間は相手の命を殺して食べている。冥福を祈るとはそれとつながっている。
「くらし」とは、経済、人と人との関係、共同体、男女、職場、家庭、などの関係だ。
「生き方」とは、生きがいを感じることだ。
テレビの対談で、アフリカの言語にたけた人が、「アフリカには『持つ』という言葉はない」といっていた。「ある」という言葉しかない。たとえば「一冊の本といっしょにある」というように、私有観念がない。ところが私有観念の社会では、所有、権力の制度になっている。この枠からでないかぎり人間のしあわせは永久にこない。
一万年前、農耕の発見で人類はおおくの食べ物を手にいれることができた。それまでの狩猟生活で手にはいるものはかぎられていた。農耕で定住生活がはじまり、それによって四大文明が栄えることができた。種をまけば、芽をだし、花をつけ、実がなる。こうした命の循環がらせん形につながっていることを発見したことが人間の精神革命である。
男は所有・権力をあらわす。女は生む・育てることをあらわす。いまの世は男の論理の世界だ。平塚らいてうは、「かつて女性は太陽であった」といった。これは母権制社会のことである。
女の力がつよくならないと農業はほろぶ。いまはほんとうの男女平等の社会ではない。だから農業に女性がはいってこなくなった。女性に好かれるような農業にどうして変えるか。これをうちやぶらなければ未来はない。かつては母親が子供を殺すというようなことはなかった。精神が崩れてきている。
生という文字は、土という字のうえに双葉がはえている象形文字からできている。草は、かたいアスファルトを破って芽がでてくる。なんとも不思議だ。それが生命である。
ある哲学者は、「人間が生にかかわることで農業に関係のない生きかたは一つもない」といっている。わたしも同感だ。農業がほろべば人間はほろぶ。
マルクスは「理想の社会ではすべての人が一日のあいだにいろいろな仕事をやれるようになることで、仕事は苦痛ではなく楽しむものだ」といっている。「農家の人は毎日豊穣(ほうじょう)の歓喜にひたっている」と柳田国男がいっている。こちらにきて桃園を見せてもらった。じつにうつくしい。芸術的である。
滋賀県のある農民がいうには、「百姓は、無冠の帝王だ。人間の最高の喜びは支配せず、されず自由になることだ」という。
農産物の輸入は4兆円、国内生産は10兆円で計14兆円だ。自給率では、畜産はほとんどが海外から輸入している。
1キロの豚肉を増やすのに、飼料が4〜5倍かかる。牛肉はその倍近い。平均して7.5〜8倍だ。100のエネルギーを投入して、産出がわずか10という結果だ。
ほんらいの農業は、投入エネルギーより産出のほうが大きくなる。それは自然の力がくわわるためだ。
光合成のために炭酸合化作用――炭酸ガスと太陽の光が葉緑素で合化されているためだ。これは人間わざではぜったいにできない。工業はまねることができない。
ところが工業化にともなって増大するエントロピー(熱力学の第二法則)によって、やがて公害が増大し、それが人間に反作用していく。これは過剰生産のためだ。エントロピーをおさえるのは農業だけだ。
生命の力を持つ人間の営みが農業だ。農業の多面的機能は、売買できないが評価はできる。これが崩壊したら日本は危機だ。林業だけで39兆円。わたしは20年前から多面的機能をいってきた。農業教育は重要だ。大事なものを大事なものとしていくという生き方の態度をつちかう。ルソーは、「人間をつくるのは農業しかない」といっている。
わたしは、日本型食生活をつくるべきだと学術論文に発表している。
最近の状況は、農産物の輸出入ほどエネルギーをつかっているものはない。農産物のほとんどが水分を多くふくんでおり、それを船や飛行機でぼうだいなエネルギーをつかってはこんでいる。
わたしの住む京都は、一昨日37度あったが、ここはあたらしい空気と風がふいている。近辺のよさをみなおすべきだ。
人間は心のなかにユートピアを持つ、そのことが心を勇気づける。
アメリカは、輸出で国を犠牲にしている。なぜなら土地がやせている。一センチの土壌をつくるのに何十年もかかっているものを輸出用農産物の生産によって破壊している。地域内で自給できるものが一番よい。「身土不二」といって、土地と身が一体という言葉があるが、いまの世界は人間の滅亡に通じる。
世界の工業は、安い労働力で海外で製品をつくり国内の賃金をひきさげている。これがリカードがいっている「自由貿易主義」だ。日本の政府も、農業が大事といっているがじつは軽視している。
経済・科学技術支配、官僚支配をあたらしいものにつくりかえていかなければならない。
農業がどうしたら活力をもつか、平成元年の京大退官時に農業のさかんな淡路島にいった。元気のある地域はグループ活動がさかんである。地域資源の新複合=地域革新をすすめるとよい。自然資源、文化資源、人間関係資源の各面でこれをすすめることだ。