『労働通信』2000年7月号
千葉県・小学校教師 桂 耕作
職員会議のあり方
文部省は、職員会議のあり方を改定する理由として、現在の「職員会議があたかも学校の意思決定権を有するような運営がなされ、校長がその責務を十分はたせていない」としている。そのため職員会議は、「校長の職務の円滑な執行に資するため、教職員間の意志疎通、共通理解の促進、意見交換をおこなうものとする」「校長が主宰する」と位置づけている。職員会議は、これまでの職員の話しあいによる決議機関から、今後は校長の諮問機関にするという内容である。
「総合的な学習」
2002年度から実施される新学習指導要領をふまえ、2000年度から移行措置にはいる。
文部省は、そのねらいとして、つぎの点をあげている。
具体的には、「総合的な学習」が週3時間、年間105時間実施となっている。また履修すべき教育内容は現行より約3割削減となった。
たとえば、情報教育では、各学校に設置された電子メール、インターネットをつかって全国各地の産業、気候などをみずからしらべる。福祉教育では、地域の老人ホームをたずね、車椅子をおしたり、みずからのったり、介護の経験、交流をする。国際理解教育では、「手でたべよう」というテーマでインドなどの食事の作法から世界の食文化を考える。
環境教育では、小学校の3、4年生がゴミの分別の仕方を体育館で実際にやってみる。また、缶やペットボトルなどのリサイクルをつうじて環境とくらしを考える。講師には、市役所の係の人をよんで話を聞く。
5年生は、地域の公害について、騒音を器具をつかって実際にしらべたり、幹線道路の車の排気ガスをガードレールの汚れ方などでしらべる。また地域の沼の汚染状況をしらべ、沼をきれいにするにはどうしたらよいかを考え、生活排水や台所の油の処理などを家庭で実践する。6年生は、地球環境の学習で地球の温暖化、森林破壊、酸性雨被害などをいろいろな資料をつかってしらべる。
この総合的学習を歴史的にみるならば、戦後直後の1946年に、第一次アメリカ教育使節団が来日したことにはじまる。六・三・三制の学制の勧告と同時に、教育の目的を民主政治と生活のための、個人の価値と尊厳の承認を基礎とするものであると意味づけた。そこから、個性尊重の経験主義がとなえられた。
戦前の教科カリキュラムにかわって経験カリキュラムが提唱された。子ども、生徒の興味、関心をてこにしながら、社会生活に必要な諸領域の経験を配列するカリキュラムに編成した。市民生活に適応し、改善していける能力の育成をめざした。社会科がその花形的位置についた。主体的な子どもの活動、経験をとおして必要な知識を習得させるという学習論が主張され、実践された。自動車工場、銀行、各地の工場見学が連日のようにおこなわれた。当時の教育実践は、「はいまわる体験学習」とよばれた。
また、国語は電話ごっこで、話し言葉を教育する。算数では、玉入れをやったことにして計算練習をやるというように、各教科のなかで内容を生活化してあつかう「ごっこ遊び」が授業形態となった。
この経験主義教育は1950年代でほぼおわり、ながつづきしなかった。その原因は、
――ことによるものである。
つまり当時の日本は、敗戦のなかで荒廃し、アメリカ社会とはまったくちがっていた。
当時、ジョン・デューイの「民主主義と教育」がひろく読まれた。デューイはプラグマティズムの思想の代表的人物である。プラグマティズムは、一九世紀のおわりに生まれ、20世紀のはじめになって広範に流行しはじめた。
プラグマティズムはアメリカに独特なものである。19世紀末、アメリカ資本主義は急速に帝国主義にむかって移行し、独占はそとにむかって勢力を拡張することにつとめた。かれらは、資本の蓄積、市場の争奪のために、冒険的行動をとることを要求し、自己のもとめる「効果」と「成果」を手にすることを要求した。
プラグマティズムは、真理がただ人間の主観的な要求をみたすものであり、人間の主観的な要求に応じるものであると考えている。また、経験は知識ではなく行動であると断言している。かれらのいう経験過程は、盲目的に環境に順応する行為あるいは行動の過程であって、この過程には客観世界にたいする認識はいささかもふくまれていない。行動こそがすべてであって、認識と知識は根本的に除外されてしまう。自分自身を環境に順応させることに「成功」したものが真なるものであり、そうでないものはあやまっているという。
ここ数年間、文部省が提唱する「新学力観」にもとづいて「総合学習」が実施されてきたが、その結果は、深刻な学力の低下やいじめ、「学級崩壊」をもたらし、教育の「荒廃」はさらに深刻化している。
「君が代・日の丸」を法律で国歌・国旗にする
昨年8月の法制化以降、高松市の教育長は、市議会本会議で、「教師と児童、生徒には『君が代』をうたわない自由はない」と発言した。10月、広島県呉市の警察は、管内の公立学校での運動会について「日の丸」の掲揚や「君が代」斉唱の実施を点検した。東京都教育委員会は、指導の徹底をはかる「通達」をだした。12月、横浜市教委は、職員会議での「日の丸・君が代」にかんする教員の発言を記入するチェックシートを各学校に配布した。
おおくの子ども、生徒はしんけんに学習して知識を身につけ、友だちと力をあわせて、体力をつけ、成長していきたいと願い、努力している。しかし、こんにちの資本主義社会のいきづまりと腐敗の反映で展望をみうしない、「荒廃」し、「非行」に走る子ども、生徒も増加している。1998年度中の1年間に、小中学校を30日以上不登校の子ども、生徒は約12万人といわれ、さらにふえつつある。また、いじめ、教師への暴力もふえつつある。長びく不況の影響で、大学卒業者の就職率は63.6%(99年度)と戦後最低になっている。また、公立、私立をとわず、授業料がはらえず、高校を中退していく生徒がふえている。このような子ども、生徒はこんにちの社会の犠牲者である。
おおくの教師は、親と団結して、子ども、生徒を成長させるために日日努力している。
今年の日教組全国教育研究集会の実践報告や意見に教師が奮闘している姿があらわれていた。しかし、一方で、子ども、生徒の「荒れ」や「学級崩壊」などでストレスを受け、学校にいけなくなっている教師がふえている。1998年度で、精神的な病気で休職した教師は過去最多の1707人にのぼる。公立校の教職員組合の加入率は54.2%と過去最低となった。日教組で32.3%、全教(全日本教職員組合)9.1%、公立教職員組合の組合員数は約10万9000人となっている。
日教組は文部省とのパートナー路線で有効なたたかいや運動を組織できないでいる。しかし、下部の組合員は、こんにちの情勢に危機感をつのらせ、下からたたかいや運動を組織しつつある。
東京では、「人事考課制度」に反対する集会(日教組、東京教組、都高教主催)が2月1日にひらかれ、2500人が参加した。千葉県では、教組、市民が共同で朝日新聞に「君が代・日の丸」の強制反対の意見広告を掲載した(掲載した個人名100人、ほか賛同者1201人、千葉高教組各分会163分会、ほか20分会、賛同組合名五組合)。また、1月11日には、「日の丸・君が代」強制反対県民集会(千葉高教組主催)をひらき、1200人が参加し、千葉市内をデモ行進した。
おおくの親は、はたらきながら、子どもがまっとうに成長していくことを願っている。
しかし、こんにちの労働者の失業、リストラ、賃下げは親の生活を破壊している。教育費の負担も親におもたくのしかかっている。九八年度にかかった教育費の1人あたりの平均は、公立の小学校30万2019円、公立の中学校43万9522円、公立高校51万5605円、私立高校101万125円となっている。