京都府・郵便労働者
『労働通信』2000年3月号
日産自動車の経営を牛耳り、日本に戦略的経営基盤をきずくためにフランスからカルロス・ゴーンがおくられてきて、当面5つの生産部門の縮小・廃止を決めていることにつよい怒りがわきあがっている。
1月25日には、東京で国民春闘共闘などの主催で、「日産リストラ計画見直せ、人減らしをやめ、地域経済を守れ!1・25中央総決起集会」がひらかれ、日産本社までデモをおこなった。
日産資本はふるくなった座間工場を設備のあたらしい福岡工場にとってかえて廃止した経過があった。このとき5400人が配置転換を強制させられ、どうすることもできずにおおくの労働者は退職していった。今回の計画はそれを大きく上回る3万5000人の削減となり、下請け企業などへの影響をあわせると一つの町が消えてなくなるほどの大「合理化」である。
日産資本は村山工場、日産車体京都工場、関連会社の愛知機械港工場を来年に、久里浜工場、九州エンジン工場を2002年に閉鎖、縮小を計画している。各工場の労働者にたいしては、小さな子供がいたり、年老いた親の面倒をみなければならないといった個個の生活状況などまったくかまわずに「広域配転か、それとも退職か」をせまっている。
京都工場でも1300人にたいして同様に攻撃している。工場のちかくに家を購入して通勤しているある労働者は「縮小計画をみて唖然とした。借金をかかえてどうすればよいのか途方にくれている」といっていた。工場がなくなることで宇治市の財源が大幅に縮小したり、地元商店などの収入がより悪化することはさけられず、直接日産と関係ない住民の人たちも「人ごとではない」として不安と怒りを感じている。
このような政治的、社会的に重大な影響をおよぼす大「合理化」が一部の資本家のもうけのためだけにおこなわれることに資本主義社会の矛盾がある。モノをつくることは現社会ではおおくの人人が運搬したり、設計したり、組み立てたりの共同労働でおこなわれ、生産物は社会全体で利用され消費されている。しかし、その工場やつくられた商品は経営者などの一部の人のものである。
必要なものを必要な量つくればなにも問題はないが、売れれば大量につくり、売れなくなれば機械とともに人間はほうりだされてしまう。資本家は、資本家同士でいくらもうけるか競争をしているからである。生産に直接関係ないものが社会の利益を奪いあっている資本主義体制が日産の「不幸」をつくりだしていることを忘れてはならない。